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一葉

【旅行記】アウシュビッツ強制収容所②

2025年5月11日

こんにちは。
今回は、スウェーデンに留学中の私が、3月にドイツのアウシュビッツ強制収容所を訪れた際に学んだことや考えたことを共有します。

【注意!】残酷な歴史についての内容のため、読んでいるうちに気分が悪くなった場合、読むことを中止して少し休むなどしてください。

前回の記事はこちら↓
【旅行記】アウシュビッツ強制収容所①

収容所での生活

では、アウシュビッツ強制収容所での生活はどのような様子だったのでしょうか。

到着

アウシュビッツ強制収容所には、ドイツのみならずヨーロッパ各地からユダヤ人が鉄道によって移送されました。

鉄道の貨物車や客車には、収容対象者がぎゅうぎゅうに詰められ、食料や水は与えられず、トイレも十分に設置されていませんでした。
このような過酷な移動の中、収容所に着く前に命を落とす者も少なくありませんでした。

強制収容所の完成から少し経って建設されたアウシュビッツ第二収容所では、収容所内まで電車の線路が続いており、「効率的」な移送を可能としていました。



収容所に到着してまず行われたのは、収容者の「選別」でした。
医者によって体格や健康状態などを基に「労働」が可能と判断された場合、収容所に送られました。

労働力として収容された人々には若い男性が多かったですが、中には14歳前後の子どもも含まれていました。
ここには、「アンネの日記」を書いたアンネフランクも含まれています。

労働力にならないと判断された人々の多くは、女性や子ども、高齢者や障がい者でした。
これらの人々は、「選別」後すぐにガス室に送られ、命を奪われました。

ガス室

ガス室は、見た目はシャワー室のような見た目をしており、人々は「シャワーを浴びる」と告げられ部屋に押し込まれました。

ガス室は地下にあり、天井に空いた穴からツィクロンBという薬剤が投げ込まれました。
この薬剤は元は害獣駆除のために作られたもので、空気に触れると有害なガスを発し、人々は1分以内に窒息し死に至りました。

これは、ナチス=ドイツの「より効率的な大量殺戮」を追求した結果確立された方法でした。

中の人々が亡くなった後、死体はユダヤ人の収容者たちによって運び出され、焼却されました。

現在でもガス室と焼却炉の一つは残されており、見学することができました。
ガス室の天井や壁にはシミがたくさん残されていました。そこで想像もつかないほど多くの人間の命が奪われた現実を物語っているようでした。



ガス室に入った時、そこで起こったあまりにも恐ろしい歴史に精神的に圧倒され、写真を撮る余裕がなかったため、クラクフのユダヤ博物館で展示されていたガス室の写真を貼っておきます。

Interior of the gas chamber still standing in the main Auschwits camp (ガス室の中の様子は未だアウシュビッツ強制収容所に残されている。)
"Mummy, when they kill us, will it hurt?"(ママ、あの人たちが私たちを殺す時、それは痛い?)
"No, my dearest, it will not hurt. It will only take a minute."(いいえ、私の最愛の子、痛くないよ。1分しかかからないからね。)
It may have taken only a minute - but it is enough to keep us awake till the end of time.(それは1分しかかからなかったかもしれない。しかし、それは私たちが意識を最期まで保つに十分な長さだ。)


強制労働

「労働力」に値すると判断された人々は、収容所内や収容所近くの工場で強制労働に従事させられました。

 仕事を課せられることで即死を免れた犠牲者たちは、個々のアイデンティティを組織的に奪われました。髪の毛を剃られ、左前腕部には登録番号が彫られました。男性は破れた縞模様のズボンと上着を着用し、女性は作業着を身に着けました。履き物は男女共にサイズが合わない作業靴が支給され、木靴の場合もありました。着替えの持ち合わせはなく、作業をしているときと同じ服装で眠りました。
 毎日が耐え難い状況下での生き残りを賭けた闘いでした。囚人たちは窓のない原始的な宿舎に収容され、暖房や防寒の措置はありませんでした。浴室はなく、バケツ1個のみ。各宿舎に約36の2段ベッドがあり、囚人たちは木の厚い板の上に5〜6人が押し込められました。1棟の宿舎で500人もの囚人が寝起きしていました。
 彼らは常に空腹でした。食事の内容は、腐った野菜や肉で作った水分が多いスープ、数オンスのパン、わずかなマーガリン、紅茶またはコーヒーに似た苦い飲み物でした。誰もが下痢になりました。脱水症や空腹で衰弱した人たちは、あっけなく収容所で広まっていた伝染病の犠牲になりました。

参照元

このような悪烈な環境の中で収容者らは文字通り「死ぬまで」働かされました。

私がアウシュビッツを訪れたのは3月でしたが、風がとても冷たい日でした。
真冬用の厚手ジャケットにマフラーをしていても、顔や耳が寒さによって痛み、手はかじかんでほとんど動きませんでした。

このような環境の中で、薄い作業着一枚で強制的に働かされていた状況を想像し、どれほどまでに過酷であったかを痛いほど実感しました。

ナチスの人々

では、アウシュビッツで人々の大量殺戮に関わっていた人々は、なぜこのような残忍な行いができたのでしょうか。

第76回カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した映画「関心領域」では、アウシュビッツ強制収容所の所長であったルドルフ・ヘスとその家族の生活の様子が描かれています。

窓から収容所が見えるほどの距離に住んでいるにも関わらず、その日常は「平和」そのものです。
自身の家族のことは気にかけても、すぐそばで人間が毎日数百人単位で殺されていることは気にかけずに過ごしています。

この映画で描かれているヘスが暮らしていた家は、未だ残されています。


写真:アウシュビッツ強制収容所から見えるヘスの家

映画の題名の通り、ナチスの人々は自分の「関心領域」の外にいるユダヤ人や収容者のことや、その人々が毎日数百人殺されている現実を見て見ぬふりしていたことがわかります。

そして、ナチスは人々をそのように仕向けるような仕組みを作っていました。
収容者を番号で管理し、遺体の回収や処理を収容者に任せることで、自分たちが人間を殺していることを認識させないようにしていたのです。

現代に生きる私たちへの宿題

私たちは、アウシュビッツ強制収容所やホロコーストの残酷な歴史から、何を学べるでしょうか。

ホロコーストに加担した人々は、「人間の心を持たない残虐な人」として生まれた特別な人間ではありません。
家族や友人を思いやり、大切にしている反面で、毎日数えきれないほどの人々を殺害していたのです。

似た状況は現代でも続いています。
ウクライナやパレスチナでは、罪なき市民らが大量に殺害されていますし、複数の国でも紛争が続いています。

「遠いどこかの国で起こっていることだから」「国際政治はわからないから」と関心領域を自分の周りに設定するのではなく、これらの状況にも自分の関心を向けることが、ナチスのホロコーストのような恐ろしい歴史を繰り返さないためへの第一歩ではないでしょうか。

一葉

塾に通わずに国際基督教大学(ICU)に一般入試で合格。専攻はジェンダー・セクシュアリティ研究と言語教育。スウェーデンに留学中です!🇸🇪 ICU・受験勉強・英語の豆知識・留学などに関する情報を発信していきます!

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