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日本の偉人を紹介!石原慎太郎編


その他
2025年4月6日

皆さん、こんにちは。

今回も前回に引き続き、日本の歴史において多大なる貢献を果たした日本の偉人について紹介していきます。

2回目となる今回は作家であり元東京都知事として知られる石原慎太郎(敬称略)について紹介します。(前回の記事はこちら)

日本の偉人の功績や意外な一面もあり勉強になる内容となっているのでぜひ最後まで読んでみてください。

石原慎太郎の人生

まず石原慎太郎の人生について簡単に説明します。

石原慎太郎は1930年、兵庫県神戸市にて生まれました。その後は親の都合などで北海道や神奈川県の学校に進学しました。そして大学ではなんと一橋大学に合格し進学しました。

そして彼は一橋大学在学中に小説「太陽の季節」を発表し、そして太陽の季節で芥川賞を受賞したのです!

当時、彼の年齢はまだ23歳であり、昭和生まれの作家が初めて芥川賞を受賞した瞬間でもありました。

彼はその後も作家として活躍し「処刑の部屋」「化石の森」など人々の記憶に残る多くの話題作を世に送り出してきました。

政治家としての活躍

石原慎太郎の政治活動といえば1999年から2012年まで務めた東京都知事のイメージが強い方が多いかもしれません。

しかし意外にも彼は若い頃から政治家として活動しており、35歳だった1968年には参議院議員選挙に全国区(現在の全国比例に似たもの)出馬し、史上初の300万票越えの得票数を得て当選を果たしました。

その後は衆議院議員へと鞍替えをし、環境庁長官や運輸大臣などの国務大臣も歴任。作家と政治家という2つの顔を持ち続けながら活動を続けていきました。

そして1995年に衆議院本会議場にて国家議員勤続25年の表彰を受けた際に現状の政治を猛烈に批判し議員辞職をしました。

こうして石原慎太郎は1度、政界を引退しました。しかし彼が66歳を迎えた1999年の東京都知事選挙。

なんと彼は無所属で東京都知事選に立候補し、見事に当選を果たしました。それ以降彼は2012年までの約13年間にわたり東京都知事を務めました。

政治家:石原慎太郎の功績

東京都知事としての功績

石原慎太郎は東京都知事としてさまざまな功績を残しましたが、ここでは東京都、そして日本に貢献をした5つの功績を紹介します。

①行財政改革と財政再建

石原慎太郎都知事が就任した当時の東京都は財政難に陥っており、財政再建の為の行財政改革が必要な状況でした。

そこで彼は東京都の帳簿を現金主義単式簿記から発生主義複式簿記に変更し東京都の財政と財産を可視化しやすくすることでより合理的な予算の算定を実現しました。

さらには東京都職員の4%給与カットなど、痛みを伴う改革を実行。これにより、財政難だった東京都の財政を健全化へと導きました。

②ディーゼル車両廃ガス規制の実施

石原慎太郎が都知事に就任直後の1999年、東京都では一部のディーゼル車両による大気汚染が深刻化していました。

特に病気を持っている方や子供への影響は甚大なものでした。

そこで石原慎太郎都知事は、都庁で行われた記者会見にて、こんなのが1日12万本出ている。みんなこんなものを吸っているんだよ!」と記者の前で煤(すす)をぶちまけました。

同時にディーゼル車両の廃ガス規制を導入し環境改善に尽力しました。

カメラの前で煤を見せるなどの行動は、視覚的に国民に問題の深刻さを伝えることが出来る良い行動だったのではないでしょうか?

③東京マラソンの開催

毎年春先に行われる国内最大級のマラソン大会である東京マラソン。

この東京マラソンを始めたのも石原慎太郎なのです!

東京マラソンの開催前は、複数の距離や大会に分かれたレースが行われていましたが、東京都内にプロから市民ランナーまでの幅広い方が参加できるフルマラソン大会は存在しませんでした。

そこで2003年に石原慎太郎都知事は「経済波及効果、スポーツや観光の振興につながる」として都内を走る東京マラソンの構想を発表しました。

そして構想から約4年後の2007年に第1回東京マラソンを開催することに成功しました。

その後、東京マラソンは現在まで続く大規模マラソン大会となり、スポーツ・文化・観光の振興に多大なる貢献をしました。

④東京オリンピックの誘致活動

実は2021年に開催された2020東京オリンピックの誘致を行なったのは石原慎太郎都知事でした。

そもそも石原慎太郎都知事は2005年の都議会にて「五輪開催を起爆剤として日本を覆う閉塞感を打破する」として2016年以降の夏季五輪誘致を正式に表明していました。

その後、2016年の夏季五輪開催地を決定した2009年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、残念ながら東京都はリオデジャネイロ(ブラジル)に敗れてしまい東京オリンピックは実現しませんでした。

しかし石原慎太郎都知事は東京オリンピックの開催を諦めませんでした。

それから約2年後の2011年、石原慎太郎都知事は2020年の夏季五輪への立候補を正式に表明しました。

そして2013年の国際オリンピック委員会(IOC)総会にて2020年の東京オリンピック開催が正式に決定したのです!

東京オリンピックの開催が決まった2013年当時、石原慎太郎は都知事ではありませんでしたが、IOCや関係各所に直接出向き、積極的に招致活動を行ったのが石原慎太郎でした。

⑤日本の領土を護る!尖閣諸島の国有化への一手

石原慎太郎の何よりも大きな功績として語られるのが、尖閣諸島の国有化への後押しです。

現在も尚、中国による不当な領海侵犯を続いている尖閣諸島。中国は一方的に尖閣諸島の領有権を主張し、武力による不当な占領もチラつかせています。

そして2012年当時、尖閣諸島は個人所有であり、場合によっては尖閣諸島が中国人に購入され、武力ではなく内部からの侵略が行われてしまうリスクがありました。

しかし、当時の民主党政権は尖閣諸島の国有化に極めて消極的でした。

そこで石原慎太郎都知事は2012年4月17日、アメリカ・ワシントンDCでの講演で突如、「東京都はあの尖閣諸島を買います。買うことにしました」と表明しました。

その発言をきっかけに、わずか9ヶ月で約14億円もの寄付が集まり、国民から大きな支持を受けました。

その後、石原慎太郎都知事の発言を受け、同年9月11日に日本政府が尖閣諸島を購入し正式に国有化しました。

このように石原慎太郎都知事の発言がきっかけとなり、日本の領土を護り中国による実質的な占拠を防ぐ重要な一手となりました。

もし石原慎太郎都知事の行動が無ければ、今頃、尖閣諸島は中国に占拠されていたかもしれません。

分かれる石原慎太郎の評価

ここまで石原慎太郎の功績を紹介してきました。一方で彼の言動や政策には、賛否が分かれるポイントもありました。

ここでは賛否の別れる代表的な事例を3つ紹介します。

①チカラ強い言葉遣い

石原慎太郎は記者会見などで、非常に強い口調での発言を行うことがありました。

たとえば、靖国神社に参拝しない方針を示した当時の民主党政権に対し「あいつら日本人じゃないんだよ」を強く非難しました。

その他にも石原慎太郎はチカラ強い言葉遣いでたびたび賛否が分かれることが少なくなく、これが評価を分ける一因となっています。

②新銀行東京の失敗

2005年に石原慎太郎都知事の主導で新銀行東京は、中小企業支援を目的として設立されました。

しかし経営はうまくいかず、2010年時点で1400億円以上の税金が投入される結果となり、「都民の貴重な税金が無駄になった」と厳しく批判されました。

最終的には都の管理から外れ、経営再建を図るも、完全な成功とは言えないまま幕を閉じました。

③外交的な発言と対外強硬姿勢

石原慎太郎は保守的な政治家として、中国や韓国など近隣諸国に対しても強硬な姿勢を取る場面が多く見られました。

尖閣諸島の購入表明もその一例であり、「中国なんて信用できない国だ」「韓国を甘やかしすぎた」といった趣旨の発言は、国内外で賛否を呼びました。

ただし、石原慎太郎のこうした言動の背景には、「日本を守りたい」「日本を良くしたい」という信念があったことは忘れてはいけません。

また、新銀行東京は結果的に失敗に終わったものの、それとは別に都の財政を健全化に導いたという大きな功績があることも忘れてはいけません。

そして何より、賛否がまったく分かれない政治家は存在しません。

石原慎太郎という人物は、その強い個性ゆえに評価が分かれることも多かったものの、日本の政治・文化に大きな影響を与えた存在であったことは間違いありません。

晩年と引退

石原慎太郎は、2012年に東京都知事を辞職した後、衆議院選挙に当選し国政に18年ぶりに復帰し、新党「太陽の党」を設立しました。

その後は橋下徹氏率いる日本維新の会と会派を合流しました。

そして次の衆議院選挙となった2014年の衆議院選挙では、立候補をしたものの落選という結果になりました。

しかし実際には、本人は当選を目的としておらず、自身の当選よりも若手の当選を優先しての選挙でした。

比例名簿でも9番目(最下位)という当選の可能性が極めて少ない順位を自ら選び、引退を前提とした最後の選挙活動に臨んでいました。

選挙期間中も、自らの選挙活動よりも同じ会派の若手候補の応援にまわり、応援演説に力を注ぎました。

こうした姿勢からも、「落選して政界を去った」という言葉だけでは片付けられない、石原慎太郎なりの美学と覚悟が込められた政界引退だったことが分かります。

まとめ

このように石原慎太郎は、作家としてそして政治家としても、日本の歴史に大きな足跡を残した人物でした。

若くして文学の世界で名を馳せながらも、その知見と行動力を活かして政界に飛び込み、東京都の財政改革や環境政策、そして尖閣諸島の国有化を通じて、日本の未来と国益を真剣に考え続けました。

ときに強気な言動が批判を呼ぶこともありましたが、彼の言動には常に「日本を守りたい」「日本を良くしたい」という強い信念がありました。

石原慎太郎は2022年に膵臓がんのため89歳で亡くなりました。

また歴史上の偉人の中には、今の私たちの暮らしや社会の仕組みに大きな影響を与えた人物が数多く存在します。

皆さんも、ぜひ自分の興味のある人物について調べてみてはいかがでしょうか?意外な発見や学びがあるはずですよ!

次回は総理歴代最長の在任期間を持ち世界から信頼された安倍晋三氏ついて紹介します。

最後までありがとうございました。

この記事の著者

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くま吉

トヨタ自動車→N高→近畿大学 クルマが大好きです!自動車や政治のことなどわかりやすく描いていきます!