現在、世界中ではロシアによるウクライナ侵攻、そしてハマス・パレスチナによるイスラエルへの攻撃など、さまざまな戦争が起きています。
しかし、そんな中でもまだ「起きていない戦争」があります。
それは核戦争です。
この核戦争がもし起きたら、地球がとんでもないことになることは、皆さんもご存じだと思います。
ですが、実は過去に「核戦争が本当に起きる一歩手前」までいった日がありました。
それが1962年10月、キューバ危機です。
背景にあった「冷戦」という対立
このキューバ危機の背景にあったのは、第二次世界大戦後から続いた「冷戦」です。
アメリカ(資本主義陣営)とソ連(共産主義陣営)は当然のように対立関係にあり、直接戦う代わりに、軍拡競争・スパイ戦・代理戦争などで競い合っていました。
そんな中、1959年にカストロ率いる革命軍がキューバで政権を握り、アメリカ寄りだった政権を打倒。
その後、カストロ政権はソ連と急速に接近していきました。
キューバはフロリダ州からわずか150キロほど。
もしソ連がキューバに核ミサイルを配備すれば、アメリカ全土が数分で攻撃可能という恐ろしい状況でした。
きっかけは「偵察機U-2での発見」
1962年10月14日、アメリカの偵察機U-2がキューバ上空を飛行した際、ソ連製の中距離核ミサイル基地が建設中であることを発見しました。
アメリカ国内ではすでに「ソ連がキューバに何かを運び込んでいる」という情報を掴んでいたとされていますが、それが核兵器だと分かった瞬間、世界は一変したのです。
ケネディ大統領の決断:「海上封鎖」
ケネディ大統領はすぐに軍の最高幹部や閣僚を集め、対策委員会を設置し、その上で実質的な選択肢はこの2つでした。
- 空爆・上陸作戦でミサイル基地を破壊する
- 海上封鎖を行い、ソ連からの船を止める
軍の強硬派は「すぐに空爆を!」と迫りましたが、ケネディは全面戦争のリスクを考え、海上封鎖という中間策を選びます。
そして、ケネディはテレビ演説でこの状況を世界に公表。
アメリカは「ソ連がキューバからミサイルを撤去しなければ、あらゆる手段を取る」と警告、ここから世界中が息をのむ13日間が始まりました。
世界が凍りついた13日間
そのとき既に海上では、ソ連の輸送船団がキューバへ向かっていました。
もしアメリカ海軍が実力行使で止めれば、核戦争勃発の可能性もありました。
やがてソ連船団はアメリカの封鎖線目前で停止。
両国の指導者は直接通信を続けながら、極限の心理戦を行っていました。
同時にアメリカ軍は防衛準備態勢(DEFCON)をレベル2に引き上げます。
これは実戦開始の一歩手前の状態。
ちなみにDEFCON1は「核戦争開始」を意味します。
つまり、アメリカ史上もっとも核戦争に近かった瞬間だったのです。
ソ連も恐れた「核戦争」
ソ連側も核戦争を避けたい思惑がありました。
なぜなら、アメリカとソ連が核を撃ち合えば、両国で1億人以上が死亡し、世界人口の3分の1が1年以内に死ぬと予測されていたからです。
さらに放射能汚染によって「核の冬」が訪れ、人類の大半が飢餓で死ぬと試算されていました。
終結、そして残された教訓
その後、ソ連のフルシチョフとケネディ大統領は直接やり取りを行い、最終的にソ連がキューバからミサイルを撤去することで合意。アメリカもキューバへの侵攻を行わないことを約束しました。
そして1962年10月28日、世界はようやく安堵します。
この日をもって「13日間の悪夢」は終わり、人類は核戦争の淵から生還しました。
この出来事からわかるのは、「核兵器があるからこそ、逆に戦争が防がれている」という現実です。
キューバにソ連が核ミサイルを配備したにも関わらず、ソ連が撤退したのは、アメリカも核を持っていたから。
一方でソ連が強気に出られたのも、自国に核があったからでした。
つまり、お互いが核を持っていたからこそ、戦争が起きなかったという皮肉な構図なのです。
もちろん、核兵器は「ないに越したことはありません」。
しかし、一部の国だけが核を放棄してしまえば、核を持つ国に攻撃される危険があり、結果的に世界平和が遠のく可能性もあります。
だからこそ私たちは、「核の恐怖」を忘れず、現実を理解したうえで、どう共存し、どう抑止するかを考えることが大切なのです。
もし当時、両国のトップの判断が少しでも違っていれば、今ごろこの世界は存在していなかったかもしれません。
「核戦争に最も近かった日」を歴史の教訓として胸に刻み、二度と同じ危機を繰り返さないようにすること、それこそが、現代を生きる私たちに課された使命なのです。
最後までありがとうございました。










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