みなさん、こんにちは!
今日は何の日か知っていますか?
ちょうど36年前の今日、ベルリンの壁が崩壊したんです。
みなさんも「ベルリンの壁が崩壊して、冷戦が終結した」と何となく知っている人は多いと思います。
では、なぜあの壁はあんな風に崩壊したのでしょうか。
実は政府の人たちも予期していなかった出来事なんです。
この記事では、ベルリンの壁建設から崩壊まで解説しようと思います。
東西ドイツの分裂
ドイツは第二次世界大戦に負けましたよね。その結果、ドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4つの国に分けて統治されることになりました。ソ連側にあった首都のベルリンも4か国で統治されることになりました。
ですが、当時は冷戦でアメリカ陣営とソ連陣営に分かれていたため、米英仏は一緒に西ドイツを治めることになります。
ちなみにソ連が治めている方は東ドイツで、ベルリンも西ベルリンと東ベルリンに分かれました。
西ベルリンは東ドイツの中にぽつんとある感じです。
ベルリン封鎖
米ソの対立関係が深まったことで、ソ連は西ドイツと西ベルリンを繋ぐ高速道路や鉄道を封鎖してしまうのです。
これが「ベルリン封鎖」です。
物資などが届かなくなってしまうのかと思いきや、アメリカ側は空路を利用して西ベルリンの人々を助け、その後ベルリン封鎖も解除されました。
東ドイツからの脱出
西側諸国は資本主義で発展していったのに対し、東側諸国は社会主義のため貧乏になっていきました。また、東ドイツではソ連の悪口を言うと捕まるなど規制が厳しく、徐々に西側に逃げ出す人が増えてしまいました。
もちろん、東ドイツと西ドイツの間には地雷などがあり、簡単には渡れません。そのため、人々は一度西ベルリンに行き、そこから西ドイツに行ったのです。
ベルリンの壁建設
国民がどんどん西ベルリン経由で逃げ出してしまったため、ソ連は国境に壁を建設し、人々が往来できないようにしました。しかも、一日でそれを作ってしまったため、家族や友人も離れ離れになってしまったのです。
また、作られたのは東ベルリンの土地なので、西ベルリン側はどうすることもできません。
ですが、その後近隣のソ連側の国がアメリカ側の国との往来を許可してしまったため、東ドイツの人たちはその国を経由して西側に逃げることになります。
ベルリンの壁崩壊
結局西側に行く道ができてしまい、ベルリンの壁は意味をなさなくなってしまいました。それに、たくさんのデモも起こりました。
そのため、政府は往来を許可しようと会見を開いたのです。「東ドイツの国民はベルリンの壁を含めて、全ての国境から出国が認められる」とシャボフスキー氏は言いましたが、本当はもう少し先の予定だったのです。
ですが、記者に「いつからですか?」と聞かれた彼はとっさに「今すぐ」と答えました。
彼は、その決定の会議に参加していなかったため、誤った情報を流してしまったのです。
これを聞きつけた人々はベルリンの壁に集まり、壁を壊したのです。
こうして、東西ドイツは統一されました。
以上がベルリンの壁が建設、崩壊し、東西ドイツが統一されるまでのお話です。
最後まで読んでくださりありがとうございました!






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