(サムネイルは著者が撮影)
皆さん、こんにちは。
これから「〇〇ってどんなお仕事?」をテーマに、様々な職業の方へのインタビューを行なっていきます!
高校時代のエピソードからその職業に就いた理由まで、毎回詳しく取材していくので、皆さんもぜひ進路選びの参考にしていただけると嬉しいです!
記念すべき第1回はなんとあのトヨタ自動車さん全面協力のもと、自動車開発を行なっていらっしゃる齋藤尚彦さんに、「自動車エンジニアってどんなお仕事」をテーマにインタビューしてきました!盛り沢山の内容になっているので、高校編、大学編(今回)、トヨタ編の豪華3本立てでお送りします!。
目次
- 齋藤さんの大学時代 時速60キロで動く超巨大ロボットを設計?
- 就職先にトヨタ自動車を選んだ理由とは?
齋藤さんの大学時代 時速60キロで動く超巨大ロボットを設計?
齋藤さんはどのような大学時代を過ごしていましたか?
大学は工学部機械学科に入り機械創造工学というものを学びました。
そこでは自動車エンジニアになるためにとにかく勉強をしました。
もちろんテニスなどで体を動かすことは続けていました。
ただ当時から王道の勉強はしたくありませんでした。
例えば、卒業論文などは大学院生の先輩の研究を手伝いながら、自分の論文に必要なデータを貰ってこなすのが普通です。
ただ僕はそれがものすごく嫌でした。何故なら「自分がやりたい論文を書きたい!」「自分がやりたい研究をしたい!」という強い思いがあったからです。
僕はずっとガンダムが好きでした。なので高さ18mで時速60キロで走れる超巨大ガンダム(ロボット)をどうすれば作れるのかをテーマに選んで卒業論文を書きました。
そしてその卒業論文は大学が機械学会の代表に選んでくれました。独創的なアイデアだと評価してくれたのはめちゃくちゃ嬉しかったですね。
ただ先輩についてないため、相談できる人が周りに居なかったこともあり、失敗の連続でした。
超巨大ロボットを動かす為の運動力学の方程式を作っていく時には、ゼロからの挑戦だったので本当に間違えまくりました(笑)。
でも、聞ける先輩もいないし…。
その時、唯一頼ることができたのが数多くの文献です。本当に多くの文献を読み漁りました。
そうすると失敗もしますが徐々にゴールに近づいていきました。
失敗しながら、何かを作り上げる経験は今でも本当に生きています。

(超巨大ロボットガンダム)
就職先にトヨタ自動車を選んだ理由とは?
齋藤さんは大学を卒業後トヨタ自動車に就職されました。色々と選択肢がある中、なぜトヨタ自動車を選んだんですか?
理由は色々ありますね。ただやっぱり1番の起点になったのは小学校の時に読んだ漫画「遥かなる走路」ですね。
遥かなる走路はトヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎さんがトヨタを起こすまでの一生を描いた漫画でした。
今でも思い出すのが、漫画の中で喜一郎さんたちがものすごい数の失敗をしている様子です。
当時、日本中見渡してもクルマを自分たちの手で作った人なんて誰1人としていませんでした。
今でもクルマづくりは本当に難しいです。正直、普通の人だったら諦めると思います。それを喜一郎さんたちは80年も前にやり遂げていました。
モリゾウさんがよく言うことなのですが喜一郎さんたちは当時1番苦労した人たちなのです。(※モリゾウさんとはトヨタ自動車会長の豊田章男氏)
喜一郎さんがリーダーとなり周りに居た仲間達と汗をかいてやってきました。
ただ当時喜一郎さんを始めとする人達は今のトヨタを知らないまま亡くなってしまいました。
特に喜一郎さんは初の国産乗用車の夢半ばで亡くなりました。
だからその無念と創業のイノベーションが僕の心の中に強く残っていたのがトヨタ自動車を選んだ1番大きな起点ですね。
あと単純に周りにトヨタの社員がたくさん居たこと、小学校の頃の工場見学がトヨタの工場でしたので、トヨタが身近にあったことも大きい理由ですね。
改めて子供の頃に工場見学などでクルマに触れていただくことは非常に大切だなと改めて感じました。
だと思います。

(豊田喜一郎さんの胸像)
(トヨタ自動車本社にて著者が撮影※特別な許可を得て撮影しています)
大学時代編の今回はここまでです。いかがでしたか?
齋藤さんが大学時代に書いた超巨大ガンダムが時速60kmで進む設計をしていて本当にすごいなと感じました。
また「自分がやりたい論文を書きたい!」という強い熱意とやる気は私を含めて皆さんのお手本になると感じました。
後編の次回は自動車エンジニアの詳しい仕事内容とやりがい。「唯一愛が付く工業製品」「勘違いから生まれた慢心」についてじっくり聞いていきます。
最後までありがとうございました。













