[独占インタビュー]自動車エンジニアってどんなお仕事?高校編
(サムネイルは著者が撮影)
皆さん、こんにちは。
これから「〇〇ってどんなお仕事?」をテーマに、様々な職業の方へのインタビューを行なっていきます!
高校時代のエピソードからその職業に就いた理由まで、毎回詳しく取材していくので、皆さんもぜひ進路選びの参考にしていただけると嬉しいです!
記念すべき第1回はなんとあのトヨタ自動車さん全面協力のもと、自動車開発を行なっていらっしゃる齋藤尚彦さんに、「自動車エンジニアってどんなお仕事」をテーマにインタビューしてきました!盛り沢山の内容になっているので、高校編(今回)、大学編、トヨタ編の豪華3本立てでお送りします!。
目次
- 齋藤さんが高校時代熱中していたこと
- 悩んだ高校時代 その経験は今でも生きている!?
- 予備校の先生が遊んでこい!?恩師と大学受験
- 子供の頃の壮大な夢とは?

(今回インタビューをした齋藤尚彦さん)
(愛知県豊田市某所にて著者が撮影)
齋藤さんが高校時代熱中していたこと
本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずは高校時代のお話を伺いたいのですが、齋藤さんはどのようなものに熱中されていましたか?
色々たくさんありますね(笑)。
まず勉強にはあまり熱中してなかったです。
中学3年生の途中からアーチェリーを始めたのですが、高校時代もアーチェリーにハマっていました。
アーチェリーは10点、9点、8点と数字の書いてある的に向かって矢を放つのですが、10点に入ったときのなんとも言えない爽快感にハマりました(笑)。
なので高校3年間はアーチェリーにまず熱中していましたね。
あとは幼稚園の頃から水泳が好きでやっていました。今も趣味でトライアスロンを続けているので、当時から水泳をやってたことが生きていますね。
まとめると、もうとにかく体を動かすのが好きな高校時代で勉強した思い出はあまりありませんがスポーツには熱中していました。
悩んだ高校時代 その経験は今でも生きている!?
ただ、高校生の時に勉強はあんまりしなかったと言って、実は最初から勉強をしていなかった訳では無いんです。
失敗したんだよね、色々と。
実は高校1年生の時に一生懸命、勉強に打ち込んだのですがあまり結果に結びつきませんでした。
そこで、勉強に対するモチベーションが下がっちゃって。テストの順位もどんどん落ちていきました。
結果が出ないからモチベーションが下がる→成績がさらに落ちる→さらにモチベーションが下がるといった負のスパイラルに陥りました。
本当に悩んだ時期で、勉強から逃げちゃいました。
ただ、今思えばその失敗をしていて良かったなと感じています。
なぜなら、「逃げたらうまくいかないんだよ」と、学ぶことができたからです。
予備校の先生が遊んでこい!?恩師と大学受験
実は僕、2回浪人をしました。
高校時代から変わらずに1浪目も、勉強にうまく打ち込めない自分がいてどん底にいました。
しかし1浪目の後半に吉田先生という予備校の先生に出会って、状況が一変しました。
その先生はどうして僕が勉強に打ち込めないかを即座に見抜いてくれました。
そこでなんと浪人生だった僕に吉田先生は「お前勉強しろって言うと、どんどんできない方向行っちゃうから、遊んでこい!」と言われました(笑)。
予備校の先生なのに遊んでこいと(笑)。
普通は遊んでこいなんて言わないですよね(笑)。
その先生は僕をいろんなところに連れていってくれました(笑)。
当時ディスコっていうのがあってよく連れて行ってくれました。ディスコって知ってる?
あんまり知らないです。今で言うクラブみたいな感じですか?
そうそう!今で言うクラブみたいな感じ。昔はディスコって名前でした。
その先生はいろんな遊びを僕に教えてくれて本当にいろんなこと経験させてくれてくれました。
そうしているうちになんか勉強する気になりました。
今になって思うと、僕にいろんな社会を見せてくれたんだなと思います。
その先生はいろんな社会経験をした上で、予備校の先生をしていたので、僕に大人になるっていうことを教えてくれました。
あとすごい頭のいい人だったので、その先生に憧れて、「こういう風になりたい」って思って勉強を始めることができました。
だから、エンジンがかかるまでは周りと比べても結構時間がかかりました。
エンジンが掛かった後は順調では無かったですけど、猛勉強して大学に合格できました。
本当にあの先生には今でも感謝してます。
その先生がいなかったら、齋藤さんが開発したGRヤリスもなかったかもしんないですね。
かもしれないね(笑)!

(齋藤さんを中心としたチームで開発したGRヤリス)
(提供 トヨタ自動車)
子供の頃の壮大な夢とは?
当時、齋藤さんはどのような夢を持っていましたか?
元々、小学生の頃からクルマのエンジニアになりたいと思っていました。
また、高校生の時はおじさんがお医者さんをやっていて医療現場に足を運んでいたこともあり、医者にも少し興味を持っていました。
ただ、お医者さんの仕事の中には手術をしたり、亡くなった方を看取らないといけないことがあります。
そういうのに少し恐れてしまいお医者さんの夢は辞めました。
でも、クルマのエンジニアを昔からやりたいって夢があったので自動車エンジニアを目指しました。
高校時代編の今回はここまでです。いかがでしたか?
自動車産業の第一線で活躍されている齋藤さんが高校時代、高い壁に当たり悩んでいたことに驚きを感じました。
同時に「何事も逃げたら上手くいかない」事を私自身も学ぶことができました。
中編の次回は齋藤さんの大学時代。「時速60キロで歩く高さ18mの巨大ロボット」という目を疑うような卒論。
なぜトヨタ自動車を選んだのかについてじっくり聞いていきます。
最後までありがとうございました
