第1回:中卒から麻布のオーナーシェフへ!?藤春シェフの少年時代とは
(サムネイルの一部は提供 EPICURE)
皆さん、こんにちは。
これから「〇〇ってどんなお仕事?」をテーマに、様々な職業の方へのインタビューを行なっていきます!
高校時代のエピソードからその職業に就いた理由まで、毎回詳しく取材していくので、皆さんもぜひ進路選びの参考にしていただけると嬉しいです!
第2回目の今回は国内外のレストランを経て東京・元麻布にあるレストランEPICURE(エピキュール)のオーナーシェフを務めている藤春幸治さんに「料理人ってどんなお仕事?」をテーマにインタビューしてきました!(以前の記事で受験勉強時や、受験当日に眠くならない食事方法についてもシェフにインタビューしています。詳しくはこちら)
盛り沢山の内容になっているので
- 第1回:中卒から麻布のオーナーシェフへ!?藤春シェフの少年時代とは(今回)
- 第2回:僕の血筋は職人!藤春シェフがそう語る訳
- 第3回:藤春シェフが今こそ高校生に伝えたい大切なこと
からなる豪華3本立てでお送りします!。
目次
- 藤春シェフの少年時代
- シェフを目指したキッカケ
- 若くして飛び込んだシェフの世界
- 若くしてシェフの世界に入ったからこそ苦労したこと
- 趣味が無いのが欠点?当時の趣味とは?
(今回インタビューをした藤春幸治さん)
(EPICUREにて著者が撮影)
藤春シェフの少年時代
まず少年時代のお話をお伺いしたいのですが、藤春シェフはどのような少年時代を過ごしていましたか?
8歳くらいからの記憶しか無いのですが、その頃から無意識に料理を作っていましたね。
当時は土曜日も授業があったため、学校の無い日曜日の朝だけ近所のパン屋さんに大きな食パンを1斤購入しに行ってました。
そのパンをどうせなら贅沢に食べたくて、1斤の食パンを大きく分厚く切って、バターを乗せてから食べていました。
しかし分厚いと食パンの芯までバターの味が染み込みません。どうすれば食パンの芯まで美味しく食べられるのか、そんなことを考えながら様々なアレンジを加えて料理を続ける少年時代でした。
それが料理の原点ですね。
料理以外にもやっていたことはありましたか?
料理以外だと水泳やサッカー、野球などのスポーツもかなりやっていました。
スポーツをするとお腹が空くので自分で料理して食べたり、あとはお味噌汁やぬか漬けなんかも自分で作ったりしてましたね。
(幼少期の藤春シェフ)
(提供 EPICURE)
シェフを目指したキッカケ
藤春シェフは中学校を卒業後すぐに料理人になられたと聞いています。なぜ中学校卒業するタイミングですぐにシェフを目指されたのですか?
まず学校に馴染めなかったんですよね。友人関係がダメだったというわけではなく、先生と生徒といった関係性に馴染めなかったんですね。
「先生は何を偉そうに言ってるんだろう」っていう感覚が常にありました。
また当時は昭和という事で強制的なことも少なくありませんでした。不満があったわけでは無いのですが、その関係性に違和感を覚えました。
「なんであの先生の言うことを聞かないといけないのだろう」「腑に落ちないな」と。
一方で一部の先生が言うことは不思議とスッと入ってくるんです。
その違和感を考えた時、新しい先生たちに出会ってまた高校を3年間通うのは正直億劫(おっくう)だなと感じました。
なので高校には行かずに調理師の専門学校に行きました。自分の好きなことなら我慢できるかなと。
そう思い調理師の専門学校に進学しました。まぁその違和感が我慢ができずに1ヶ月もせずに辞めましたがね(笑)。
(中学時代の藤春シェフ)
(提供 EPICURE)
若くして飛び込んだ料理の世界
専門学校を辞めてまず池袋の居酒屋で働き始めましたね。
そして20歳の時には西麻布のレストランで仕事を任されるようになりました。
その後、六本木の会員制レストランで働いたり外資系ホテルで働いたりしながら気づいたら26歳でセカンドシェフになることもできました。
この世界に入って30年以上。やはり入るのが早かったのでキャリアも長いですね。
今が48歳、16歳でこの現場に入ったので、もう32年?やだぁ〜(驚)そういった意味では早めに始めてよかったなと思っています。
ただもう48歳です(笑)。もうあと2年で50歳ですよ。やばいな(笑)。
ここ10年はこのお店(エピキュール)を立ち上げて現場でバリバリ働いてきました。もちろん健康に元気な体でやっていたら少しは動けると思います。
ただその先を考えた時に、もちろんバリバリ働くつもりでいますが疑問を持った方がいいと感じています。
働くつもりではあるけれど働けなくなるかもしれない。そういったことも考慮してなるべく現場に立たずに外に出る、そしてその方向性はずっと考えてますね。
若くして料理の世界に入ったからこそ苦労したこと
先ほどは中学校を卒業後シェフの世界に入った点で良かったことについてお聞きしました。逆に中学校を卒業後シェフの世界に入ったからこそ苦労した点はありますか?
正直な話、中卒で苦労した点はなかったと自分では思っています。
ただコンプレックスはありました。
特に20歳~30歳の頃は、履歴書を書く時や面接の時などに感じていました。
やはり学歴は自分自身が歩んできた道を1番シンプルに伝えることができる物だと思います。
そして面接などでは必ず「中卒なの?」と聞かれます。その度に堂々と「中卒です!」と答えていましたが、やはり心の中ではコンプレックスに感じていましたね。
趣味が無いのが欠点?当時の趣味とは?
藤春シェフが10代の頃、料理以外で熱中していたことや趣味は何でしたか?
僕、趣味という趣味が無いんですよね。それが僕の欠点です。
ただ、他のお店によく足を運んだり、食べ歩きをしたりしていました。
当時は今みたいにSNSなどがありませんでした。
なので、そのお店にメニューがどんなものがあって、料理がどんなものが出てくるかは行ってみないと何もわからなかったんですよね。
他のお店を知るためには、そのお店に行くしかなかったので10代の頃はいろんなお店に沢山足を運びましたね。
その他にもしていたことはありますか?
とにかく交友関係を大事にしようと思っていたので、彼女とデートしたり、友達とクルマに乗ったりしていました。
最初の車はTOYOTA車でしたが、途中でアメ車に浮気しましたね(笑)。
はい、今回はここまでです。いかがでしたか?
現在一流のシェフとして活躍している藤春シェフが少年時代に、先生と生徒といった関係性に違和感を感じていたことに驚きを感じました。
そしてこの記事を読んでいるみなさんの中にも「先生と生徒といった関係」に悩んでいる方もいると思います。
そういった方にも、藤春シェフのように好きな事を追い求める姿勢は参考になるのではないでしょうか?
次回の記事では「僕の血筋は料理人」という驚きの家系図。そして、藤春シェフが始めた「ケアリングフード」について詳しく話を聞いていきます〜。
最後までありがとうございました。