北九州が重工業で発展した訳
皆さん、こんにちは。
歴史の授業などでも習ったことがあると思いますが、北九州といえば、戦前に官営八幡製鐵所が開業し日本の工業化を牽引してきました。
現在でも日本製鉄やトヨタをはじめとする様々な企業の工場がある、「モノづくりの町」として知られています。
では、なぜ北九州は重工業が発展したのか知っていますか?
今回は北九州が重工業で発展した訳について紹介します。
北九州が重工業で発展した訳
①地理的条件の良さ
北九州が重工業で栄えた1番の理由は、地理的な条件です。
北九州は本州と九州の間にある関門海峡という海の要所に位置し、国内外への利便性が非常に良い場所となります。
当時は今のように飛行機や自動車による輸送が発達しておらず、船舶による輸送がメインでした。
そのため、船舶での輸送のしやすさは、工業化に欠かせない重要な要素でした。
だからこそ非常に理想的な立地条件を備えている北九州が重工業で発展したのです。
(関門海峡)
(福岡県北九州市にて著者が撮影)
②豊富な石炭資源
2つ目の理由は、豊富な石炭資源の存在です。
北九州の近くには「筑豊炭田(ちくほうたんでん)※現在、全ての炭鉱が閉山済み」と呼ばれる日本有数の炭田があり、安価かつ大量に石炭を供給できる距離にありました。
当時の工場運営には莫大なエネルギー。すなわち大量の石炭が必要であり、この筑豊炭田が重工業の発展に追い風となったのです!
③国策による開発
3つ目の理由は、明治政府による国策です。
当時、富国強兵を掲げた政府は、北九州に官営八幡製鉄所を設立しました。
これは日本で初めての大規模な近代製鉄所であり、北九州の工業化の象徴となりました。
この製鐵所を中心に、関連する多くの企業が集まり、地域全体が工業都市として形成されていったのです。
戦後の公害と環境モデル都市への変貌
戦後の高度経済成長期には、さらなる工業化が進みましたが、その結果、公害が深刻化し、北九州は「公害の町」として知られるようになりました。
しかし、その後、全国に先駆けた環境対策を実施し、現在では「環境モデル都市」として再評価されています。
特にリサイクル産業や環境技術にも注力しており、過去の教訓を活かした持続可能な都市づくりが進められています。
私自身、1月に北九州を訪れましたが、街はとても栄えており、空気や街並みに「汚い」といった印象は一切感じませんでした!
(北九州の街並みの一部)
(福岡県北九州市にて著者が撮影)
現在の北九州の人口と財政
現在の北九州市は少子高齢化が進み、約3人に1人が65歳以上とされています。2025年の推定人口は約90万人とされており、人口は減少傾向にあります。
しかしながら、2024年には転入者が転出者を492人上回り、全国的にも珍しい現象となりました。これは、産業の多様化や都市整備の成果ともいえるでしょう。
財政面ではやや厳しい側面もありますが、人口規模としては依然として大都市の1つに数えられます。
まとめ
このように北九州が重工業で発展した訳には、地理的要因、そして明治政府の国策がありました。
現在では、トヨタなどの自動車工場をはじめ、先端技術を活用したモノづくりの拠点として再注目されています。
また、人口減少が全国的に問題視されている中で、北九州は転入者数の増加という明るいニュースを生み出しています。
ぜひ皆さんも福岡や九州を訪れる機会があれば、少し足を延ばして北九州に、訪れてみてはどうでしょうか?
最後までありがとうございました。