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仏教

概要

世界三大宗教の一つ、仏教はインドで生まれました。

階層を批判し修行による悟りを目指す仏教は、大きく上座部と大乗に分かれ、各地に伝播していきます。

時代

前6世紀〜

場所

2EAF3ABFD5FF4B7DB0573611E82A25E3.png

詳細

成立

流れ→古代インド

古代インドにおいてはヴァルナ制と呼ばれる階級制度が存在しており、4層のうちの最上層、バラモン(司祭者)によるバラモン教が信仰されてきていました。

マガタ国などの都市国家で勢力を伸ばした2層目のクシャトリヤ(武士)や3層目のヴァイシャ(商人など)が力を伸ばすと、バラモンの権威を否定するようになります。

その時期にクシャトリヤ出身のガウタマ=シッダールタ(ブッダ) が説いた仏教があらわれ、新興勢力となりました。

教義

ヴァルナ制や祭式を否定し、心の内面から悩みを解くことを重視します。

人生を苦とみて、生前の行為により死後に別の生を受ける輪廻転生からいかに抜けるか(=解脱するか)を説きます。

四つの真理、四諦と正しい実践、八正道が説かれました。

ブッダの教えを伝えるために仏典結集が開かれます。

部派

仏教は元々、出家したものが厳しい修行を行うことで自身の救済を求める宗教でした。

しかし自身の救済よりも人々の救済により重きを置き、出家しないまま修行を行う(菩薩信仰)運動が広まり、この考えをあらゆる人々の乗り物という意味をこめて大乗仏教と呼びました。

旧来の仏教は彼らにより小乗仏教と呼ばれ利己的なものと批判されましたが、その一つの宗派である上座部仏教に代表されるように、その後も広く信仰され続けます。

また大乗仏教の中で竜樹(ナーガールジュナ) が実在論を否定し大きな影響を与えるなど変化も続きます。

保護

インド最初の統一王朝であるマウリア朝では、征服活動により犠牲を悔やんだアショーカ王により厚く保護され、第3回仏典結集が開かれます。

ダルマ(法) による支配が目指され、ストゥーパ(仏塔) の建立も盛んに行われました。

スリランカに仏教が伝わったのもマウリア朝期で、上座部仏教の布教の拠点となっていきます。

続くクシャーナ朝においても仏教は保護され、カニシカ王によって第4回仏典結集が開かれました。

大乗仏教が生まれたのがクシャーナ朝期であり、それまで作られなかった仏像も作られるようになります。

ヘレニズムの影響を受けたガンダーラ美術が発展し、美術とともも中央アジアから中国・日本へと伝わります。

グプタ朝においてはヒンドゥー教が広く定着しましたが、バラモン教とともに仏教も信仰されていました。

6362B7FF1C774D368CBF6F23FAD1F362.png ストゥーパ

1008FACE9397474784BBD8863C7B34D7.png 仏頭

伝播

中国

流れ→南北朝時代、唐

シルクロード(オアシスの道)を経由してゾロアスター教などとともに中国に伝わります。

前漢末か後漢前半には伝わっていたとされ、華北を含め広く信仰されるようになります。

華北に広まった仏教は、独自に発展しのちにチベット仏教となります。

クチャから洛陽に入り中国仏教の基礎を築いた仏図澄や、長安で仏典翻訳をした鳩摩羅什などが中国における仏教の広まりに貢献した人物として知られています。

隋唐期には民間にも広く浸透し、本場インドを訪ねる僧も現れました(補足に詳細を記載)。

一方で廃仏と呼ばれる排斥運動もあり、特に大きなものは、弾圧した北魏の太武帝・北周の武帝・唐の武宗・後周の世宗の名を取り「三武一宗の法難」と呼ばれています。

北魏の太武帝は寇謙之の新天師道を取り入れた道教を国教とし、仏教を激しく弾圧しました。

しかし、彼の死後には復活し、平城の近くに雲崗石窟が作られ、孝文帝の遷都後には新都洛陽に竜門石窟が作られるなどします。

道教も仏教の影響を受けながら発展し、儒教・仏教・道教が重要な三つの教えとして人々に認識されるようになり、同時に国家宗教の座を争うものとなりました。

唐の武宗による「会昌の廃仏」は史上最大の弾圧とされています。

補足

中国王朝の流れ:漢→三国時代・南北朝時代(北魏)→隋→唐→五代十国 5CF693C94C644DCDA51312C15E4CE6C9.jpeg 354BEDA463AC41839B48FAE7B67DC050.png 雲崗石窟 02B300868A924B219634DE15C380FE23.png 竜門石窟

漢風の袈裟や面長・なで肩の体型など、漢化政策の影響が見られる

東南アジア

まとめ→東南アジア

流れ→古代東南アジア、中世東南アジア

東南アジアにも仏教は伝わりましたが、大きく二つの伝わり方がありました。

一つはインドから直接伝わったもので、ヒンドゥー教と大乗仏教の両方の色を持ったものでした。

東南アジアの東部にその傾向が強く、代表国家としてはカンボジアの扶南やベトナムのチャンパー・占城などが挙げられます。

一方、もう一つはマウリア朝期にスリランカに伝わったものが伝わってきたもので、主に上座部仏教でした。

前者に比べ遅く伝わってきたのも特徴です。

西部にその傾向が強く、代表的な国家としてはタイのスコータイ朝・アユタヤ朝・ラタナコーシン朝、ミャンマーのパガン朝・コンバウン朝などが挙げられます。

どちらも主に大陸部に位置していますが、諸島部はイスラムの影響を強く受けていました。

朝鮮半島

10世紀に建国された高麗では厚く保護され、『高麗版大蔵経』が発行されるなどしていました。

インドでの衰退

流れ→インド=イスラーム 階級制など旧来の慣習と融合したヒンドゥー教が民衆の間に広まり、バクティ運動が盛んに行われると次第に衰退します。

そしてイスラム教の侵入により、13世紀にインドでの仏教信仰はほぼ消滅しました。

補足

現在日本で信仰されている仏教にはさまざまな宗派があり、ルーツもそれぞれ異なります。

奈良の仏像で知られる臨済宗は唐で生まれたもので、黄檗宗、曹洞宗と共に禅宗に数えられています。 36DBB3F12A7543769AA9BB30C5DB02E9.png 奈良の大仏

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