シルクロード
概要
古代から中世にかけて使われた、東西を結ぶ交易路。
オアシス都市を拠点とし、文化の伝播路としての役割も大きかった。
流れ→トルキスタン、文化(古代オリエント)、唐、古代インド
時代
前2世紀〜15世紀
場所
詳細
歴史
シルクロード(絹の道) は、ユーラシア大陸にある東西を結ぶ交易路です。
漢王朝に前2世紀に全域が支配された際に、張騫の探検を機に、絹貿易のため整備されます。
その後3世紀にかけてはパルティアが大部分を支配し、ローマ帝国と中国とを繋ぎます。
トルキスタン地域は特に「オアシスの道」と呼ばれ、7〜9世紀にソグド人により盛んに隊商交易が行われました。
元の支配下においても利用されますが、オスマン帝国の支配下に入った15世紀に使われなくなり、東西交易は海路が主流になっていきます。
様子
全ての道が一括管理されていたわけではないため、治安・安全ともに良いとは言いがたく、危険を伴うもので、盗賊も現れたと記録されています。
オアシス諸都市では定期的に バザール(市) が開かれ、中継基地として大きな役割を果たしました。
オアシス都市の一つ、敦煌は特に重要な基地で、交通の要衝となりました。
文化
シルクロードは交易路であるとともに文化の伝播路ともなります。
仏教 はこれを通じて1世紀頃にインドから漢朝の中国に広まると、4世紀以降、オリジナルを求めて中国からインドへ渡る人が生まれます。
東晋の法顕は往路で、唐代の玄奘は往復路で陸路を用いインドへと渡り、それぞれ『仏国記』『大唐西域記』を記しました。(唐代にわたり『南海寄帰内法伝』を記した義浄は往復ともに海路でした)
キリスト教はローマでは異端とされたネストリウス派が景教として伝わり、中国で支持を得ました。
またイランで信仰されていたゾロアスター教もシルクロードを通じて伝わり、「祆教」と呼ばれて広まりました。
中国を通じて日本にも繋がっており、正倉院の漆胡瓶などからインドの影響が見受けられます。
補足1
『西遊記』はご存じですか。『孫悟空』としても知られている、猿の、ではなく法師の物語です。
そのモデルとなったとされているのが玄奘(三蔵)の旅の様子です。
どこまで本当なんでしょうか、、