イランまとめ
概要
イラン史のまとめです。
ゾロアスター教が信仰されていましたが、7世紀以降は主にイスラーム教が信仰されました。
芸術も発展し、多くの歴史的建造物が残っています。
まとめ図
詳細
古代
古代のイランは主にオリエントを支配する国家の支配を受けていました。
ゾロアスター教 を主に信仰していました。
アレキサンドロス大王の侵攻の後にはセレウコス朝シリア、パルティアがたち、ヘレニズム文化の影響を受けます。
続くササン朝ではゾロアスター教信仰が確立されました。
中世
642年のニハーヴァンドの戦いで正統カリフ時代のイスラム勢力に敗れると、ササン朝は急速に弱体化してイスラーム化が進みます。
ウマイヤ朝、アッバース朝、サーマーン朝、カラハン朝、セルジューク朝、ホラズム=シャー朝とイスラム系の王朝に長く支配されます。
独自のイラン=イスラーム文化が発展し、セルジューク朝のニザームアルムルクなど、イラン出身の知識人は重用されていました。
またサーマーン朝から始まるトルコ系王朝の影響も大きく、トルコ語を話すようになるトルコ化も大きく進むこととなりました。
13世紀、モンゴルのフラグの遠征によりイル=ハン国が建てられ支配下となります。
近世
イルハン国の滅亡後には、チャガタイハン国出身のティムールによりティムール朝をたてられました。
広大な領土を支配しましたが、1世紀あまりで神秘主義のサファヴィー朝にとってかわられます。
「世界の半分」とも称されるほどの繁栄を見せますが、ヨーロッパの勢力やオスマン帝国の圧力により衰退します。
近現代
カージャール朝のたてられたイランでは、ロシアに不平等条約であるトルコマンチャーイ条約を結ばされるなど厳しい干渉に遭います。
また内部でもタバコボイコット運動が起こるなど民族運動が後をたちませんでした。
1905年に立憲革命が起きますが、第一次世界大戦により侵攻され、クーデターにより実権を握ったレザーハーンによりパフレヴィー朝がたてられます。
国号をイランに変えて迎えた二次大戦では連合軍の影響下におかれ、終戦後も石油を通して各国とあらそい、クーデターや革命が相次ぎました。
補足
イランに以前住んでいたという(筆者が第3外国語でとっていた)ペルシア語の先生は、イランはみんな明るくていい国だ、と紹介します。
道を歩いていて声をかけられないことはまずないほどだとか。
歴史的モスクも美しいのでおすすめの旅行先だそうです。
緊迫した状況が伝えられることの多いイランですが、そんな面にもぜひ目をむけてみてくださいね。
帰属
Tasnim News Agency, CC BY 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0, via Wikimedia Commons