ウマイヤ朝の後、カリフを受けついだアッバース朝のお話です。
ムスリムを優遇し、イスラーム法に基づいて政治を行ったためイスラーム帝国とも呼ばれました。
まとめ→イスラーム王朝
750年〜1256年

ムアーウィヤが開いたウマイヤ朝は、領土拡大を続けますが、732年、フランク王国にトゥール・ポワティエ間の戦いに敗れます。
750年にはアッバース家が革命を起こし、アッバース朝を開き、2代マンスールは首都をバグダードに建設しました。
ウマイヤ朝では征服地の人々に課された地租(ハラージュ)と人頭税(ジズヤ)を、アッバース朝ではイスラーム教徒であれば免除されました。
政治もイスラーム法(シャリーア)に基づいて行われたことから、「イスラーム帝国」とも呼ばれます。
トルコ人奴隷を親衛隊として用いるマムルークの制度もこの時代に始まります。

ハールーン=アッラシードの時代に黄金時代を迎えますが、その死後から各地で独立する国家が現れ、統治はイラン人の軍事政権ブワイフ朝に取って代わられることとなります。
実権は無くしたアッバース朝でしたが、ブワイフ朝ののちには セルジューク朝 にスルタン(支配者)の称号を与えるなど形骸的ながらも存続を続け、滅亡したのはモンゴルのやってくる1256年のことでした。
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