ティムール朝の後にイランで興ったシーア派国家。
アッバース1世の時に最盛期を迎え、首都のイスファハーンが「世界の半分」と言われるほどであった。
1501年〜1736年

ティムール朝が衰えた後、サファヴィー教団の長であったイスマーイールがタブリーズを占拠し、立てた王朝がサファヴィー朝です。
シーア派のうちでも穏健な十二イマーム派を採用していました。
1514年のチャルディラーンの戦いではオスマン帝国のイェニチェリに大敗を喫し、勢力を奪われますが、第5代シャー(王)、アッバース1世の時に奪い返し最盛期を迎え、イスファハーンに遷都します。
ポルトガルやオスマン帝国から領土を奪い、「イスファハーンは世界の半分」と呼ばれるほどになります。
しかし彼の死後に集権制は衰え、18世紀半ばにオスマン帝国やアフガンの民族の攻撃で滅亡しました。
サファヴィー朝では芸術が大きく発展します。
イスファハーンには様々なモスクが立てられ、内部には細密画(ミニアチュール)も多く残されました。

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