近代イラン
概要
列強の進出を受け民族意識が高まり国家を保ったイランのお話です。
ティムール朝、サファヴィー朝、カージャール朝、パフレヴィー朝と移ります。
時代
19世紀
場所
詳細
中央アジアではティムール朝が衰えたのち、イスマーイールがシーア派を国境としサファヴィー朝を開きました。
サファヴィー朝滅亡後、イランではカージャール朝が起こりました。
カージャール朝はカフカスを巡るロシアとの戦いに敗れ、トルコマンチャーイ条約でロシアに治外法権を認め、関税自主権を失いました。
これに対してバーブ教徒は社会革命を唱えて武装蜂起しましたが、政府軍によって鎮圧されました。
また、カージャール朝はアフガニスタンに侵攻しましたが、イギリスが介入しアフガニスタンのイランからの独立を認めました。
アラビア半島ではパン=イスラーム主義を説いたアフガーニーの呼びかけに応えてタバコ=ボイコット運動が展開されました。
その結果、イラン人の民族意識が高まり、初の国民議会が開かれるなどの立憲革命が起こりました。
1925年にレザー=ハーンがカージャール朝を廃して、パフレヴィー朝を開きました。
彼はトルコにならって近代化に努め、国名をイランに改めてナショナリズムを鼓舞しました。
現代までさまざまな問題を抱えています。
関連単語
カージャール朝 / ティムール朝 / タバコ=ボイコット運動](https://okke.app/words/p/yaBl2kMMGenuU)
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