カージャール朝
概要
18世紀末から一次大戦明けまでにおける、イランの王朝。
列強の影響下で、民族意識の高まりから数々の運動が起こった。
流れ→近代イラン
まとめ→イランまとめ
時代
1796年〜1925年
場所
詳細
サファヴィー朝の滅びた後のイランで18世紀末にテヘランを首都とするカージャール朝が開かれました。
支配は安定せず、グルジア(ジョージア)を巡ってロシアと戦い敗北、不平等条約であるトルコ=マンチャーイ条約を結ばされます。
19世紀半ば、カージャール朝に抑圧されていたシーア派から生まれた新宗教、バーブ教徒の反乱が起きますが鎮圧されました。
その後も民族意識は高まり、19世紀末にはタバコ=ボイコット運動が起きます。
この流れを汲んで国民議会開設を求める動きが起こり、憲法制定および国会の開設が認められる立憲革命となりました。
しかし国王の反革命のクーデタとロシアの軍事介入により憲法、国会が停止され革命は頓挫します。
第一次世界大戦では中立を宣言したにもかかわらず英露により占領されます。
干渉を強めるイギリスへの反感が高まる中、軍人のレザー=ハーンによりクーデターが起こされ、1925年にパフレヴィー朝が立てられました。
パフレヴィー朝下で近代化政策が進められ、ナショナリズムの機運もますます高まりました。
補足
トルコ=マンチャーイ条約にトルコ(オスマン帝国)は関係ないことに注意しましょう!
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