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スパルタ

概要

古代ギリシアのポリスの一つ。

厳格な軍国主義で軍事大国となり、ペロポネソス戦争では勝利を収めた。

流れ→ポリス、アケメネス朝ペルシア、ペロポネソス戦争、アレクサンドロス大王

まとめ→ギリシャ、オリエントと地中海世界

時代

前9世紀〜前4世紀

場所

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詳細

ペロポネソス半島南部にドーリア人が移住し、ミケーネ文明を築いたイオニア人などを征服して成立しました。

先住民は劣った存在で参政権がなく、生産活動に従事する自由人をペリオイコイ(周辺民)と呼び、奴隷はヘイロータイと呼ばれました。

軍国主義であり、市民は女子も含めて厳格な規律の下で軍事訓練に小さいうちから明け暮れていました。

経済的平等を重視し貨幣を禁じるとともに国内秩序を守るため鎖国政策も行い、ポリス間の交流のあったギリシア世界では異色な存在となります。

これらの制度はリュクルゴスの制と呼ばれ、強力な軍隊を作り上げました。

この軍隊を生かし周辺のポリスとペロポネソス同盟を結び、存在感を示します。

ペルシア戦争(1)においては他のポリスとも協力し勝利を収めますが、これを機に アテネがデロス同盟を組むとそれに危機感を抱き、ペロポネソス戦争を開戦します。

アテネの指導者、ペリクレスが疫病に倒れ混乱したことで、勝利を掴みます。

しかしペルシアの介入もありギリシア全体の覇権を得ることはできず、新興のテーベ、アテネと争うことになります。

引き続く戦争で戦士が減り、雇われの兵士傭兵が増加したことや、交流による貨幣経済の流入で国内は混乱し、勢力は衰えていきます。

北部のフィリッポス2世の下で強大化した マケドニア によってアテネ・テーベなどの諸ポリスがコリントス同盟に吸収されてからも反抗を続けますが、前331年にマケドニアに征服されました。

(1)ペルシア戦争

ギリシア連合軍とアケメネス朝との、イオニア独立をめぐる戦いです。

ギリシャ人の一派で、ミケーネ文明の担い手であったイオニア人の建設した地方がアケメネス朝ペルシアの支配下で反乱を起こすとこれを支援し、アケメネス朝の王ダレイオス1世とのペルシア戦争が前500年に始まります。

マラトンの戦いで勝利の後、テルモピレーの戦いでは敗北しますが、サラミスの海戦、プラタイアの戦いで勝利したことでイオニアの独立が達成されます。

アテネの テミストクレス の率いた三段櫂船がこの勝利に大きく貢献したのですが、その漕ぎ手の多くは平民であったため、その発言権は向上し、アテネ民主政の完成に繋がります。

スパルタの伝統的戦術、 密集隊形(ファランクス) での攻撃も大いに活躍しました。

補足

よく耳にする「スパルタ教育」などの「スパルタ」は、このポリスの名前からきています。

少しでも怠惰な様子が見られると、すぐに処分されたそうです。

約3000年後の、遠く離れた地域の異言語にまで伝わっているなんてどれだけ厳しかったのでしょう。

衝撃的な話もいくつかあるのでぜひ調べてみてください。

(下の画像は、スパルタの少女の像です。題名’Bronze figure of running girl’の通り、運動に励んでいる様子が伺えます。著作権の都合上私のイラストですが、本物は大英博物館に展示されているそうです。) スパルタの少女像 BCDCB15A64844E67AF5765BEEA149388.png

プラタイアの戦い スパルタ(左)軍の密集隊形(ファランクス)の様子に注目。

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