ペリクレス
概要
アテネの民主政を完成させた人物。
ペロポネソス戦争中に没し、彼の死がこの戦争の敗因の一つになった。
流れ→ペロポネソス戦争
まとめ→ギリシャ、オリエントと地中海世界
時代
前5世紀後半
場所
詳細
ペルシア戦争においてテミストクレス率いる三段櫂船の漕ぎ手として活躍した平民の発言権が上がったのちにアテネの指導者となり、民会を基礎とする民主政を完成させました。
民会はアテネ市民が全員参加し、年40回開催される議会で、皆が参加・発言権をもつ直接民主制が取られていました。
役員や評議員は一般市民からくじ引きで選ばれ、任期は1年、再選は許されませんでした。
軍事の最高官職、将軍のみが選挙で選ばれ、ペリクレスはこれに15年間選ばれ続けました。
市民間では平等な民主政が確立しますが、ここで言われた「市民」とはアテネ市民権をもつ成年男性のみを指し、女性や子供、外国人、奴隷には参政権が全くありませんでした。
デロス同盟率いるアテネが力を伸ばし、ペロポネソス同盟率いるスパルタが危機感を抱いたことでペロポネソス戦争が始まります。
初めは有利な展開でしたが、疫病の流行と、それによるペリクレスの死を受けてデマゴーグ(デマゴーゴス) などの煽動政治家が登場したことによりアテネは混乱に陥り、敗北を喫することとなりました。
補足:アテネ概要
帰属
民会の演壇(プニュクスの丘) Larry from Charlottetown, PEI, Canada, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, via Wikimedia Commons
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