手段が目的になっていませんか?
どうもフジです。
今回は「手段が目的になっていませんか?」というテーマでお話ししていこうと思います。
みなさんは、なんのために受験勉強を頑張っていますか? 将来医者になるため? それとも弁護士になるため? 夢がある人、それは本当に素晴らしいことだと私は思います。受験勉強というのはその夢を叶えるための手段にすぎませんし、「なんのために受験を頑張るのか」という問いにはっきりと答えられる人は、おそらくこのことを無意識に理解しているでしょう。だから、そういう人たちは全く問題ありません。
私が今回伝えたいのは、「なんのために受験を頑張るのか」という問いに、明確に答えられずにいる人たちに対してです。もしかしたら、そんな人たちは「手段が目的化してしまっている」状態に陥っているかもしれません。
「手段の目的化」とはどういう状態か
「手段の目的化」という言葉は、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
これは、本来は何かを達成するための方法でしかないはずの手段が、その手段自体が、目的となってしまっている状態のこと」を指します。たとえば、受験勉強というのは、将来なりたい自分になるための「手段」であるはずです。しかしいつの間にか、「受験勉強を頑張ること自体」が目的になってしまうことがあります。要するに、「受験勉強を頑張っている自分に酔っている」ような感覚です。
「手段の目的化」のなにがダメなん?
「手段が目的化されてても別によくない?」と思う人もいるでしょう。
実際、私自身も昔はそう思っていました。何を隠そう、私も「受験が目的化していた」人間のひとりとして東大に現役合格してますからね。だから当時の私は「ほら、手段が目的化してたって結果出せたじゃん!」と。
確かに、短期的には問題がないケースもあります。よく言われる「手段の目的化」のデメリットは、「理由が曖昧だから頑張り続けるのに限界がくる」とか、「頑張ることが目的になると、頑張れない自分を受け入れられずに落ち込んでしまう」とかそんなところかと思いますが、私のように「頑張ること自体が大好きで、どこまでも突っ走れる」という人にとっては、こうした短期的な問題はあまり深刻に感じないこともあるでしょう。
だから私はここであえて言いたい。
短期的には乗り切れる人でも、長期的に見れば話は別だ、ということです。問題は、その「頑張り方のクセ」が人生全体に影を落とすという点にあるんです。
「手段の目的化癖」という罠
受験を終えた後に本当の問題が待っています。
受験が目的化してしまっていた人は、受験が終わると突然「頑張る対象」を失います。人生の中でもトップクラスに力を注いできた「頑張る対象」がなくなるわけですから、その後多くの人が「じゃあ次に頑張れることを探そう」と考えるでしょう。しかし、ここで問題が起こるんですよね。そもそも受験ですら、自分の意思で見つけたというより、周囲や社会に「頑張るもの」として刷り込まれてきた部分が大きいはずです。自分で主体的に見つけたものではないからこそ、「次に頑張るものを自分で見つけろ」と言われても、途方に暮れてしまうわけです。
次に頑張るものを見つけるのにすら苦労するのに、ようやく新しい頑張る対象を見つけたとしても、次には「手段の目的化癖」の影響が出てきます。
受験という大イベントを「手段の目的化」で乗り切った人は、「頑張っている自分に酔う」という状態に、脳が心地よさを感じてしまう癖がついてしまっているんです。人間は脳内報酬系の仕組みで「頑張る自分って偉い!」と自分を褒めたくなる生き物なので、強烈な達成感を味わった経験ほど、再びそれを追い求めるようになります。ここからは同じことの繰り返し。
「頑張る対象」が次々に手段化してしまい、長期的な目標を見失う。時に、頑張れなくなった自分に耐えられず落ち込む。そして、次の「頑張れる何か」を探す…。この負のスパイラルに陥ってしまうんです。
「手段の目的化癖」を回避するためには
手段の目的化癖を回避するには、やりたいことを見つける、先々を見据えるしかありません。
多くの高校生は「やりたいことはそのうち見つかる」と信じているかもしれません。けれど残念ながら、やりたいことというのは天から降ってくるものではないんですよ。もちろん運良くふと出会える人もいますが、それは本当にラッキーな例であって、ほとんどの人には起きないと思っておいた方がいいです。
やりたいことは、自分から探しに行かないと見つからないんですよね。高校生では機会も少なく、難しいことである、これはもちろんわかってはいますが、例えばオープンキャンパスに奮って参加するだとか、そういう主体的に見つけに行こうとする姿勢は大事にしてほしいです。高校生のうちから、自分にとっての「本当の目的」を探し続けることが大切だと思っています。
小さくてもいいので「これをやってみたい」と思えるものを見つけ、それを育てること。それが、手段の目的化に陥らず、人生を自分の力で切り拓く一番の近道だと私は信じています。
というわけで今回は以上。









