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チャーチル


概要

第二次世界大戦時に、首相としてイギリスを率いた人物。

対ファシズムの態度を明確に取り、戦争中からも戦後処理についての会談を積極的に行った。

終戦直前に労働党に敗れたが、鉄のカーテン演説などの活動を行い続けた。

流れ→第二次世界大戦ファシズム

まとめ→大戦

時代

1874年〜1965年

場所

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詳細

世界恐慌後にファシズムが台頭すると、当時のイギリスはネヴィル=チェンバレンが指導し 宥和政策 をとっていましたが、彼はそれを批判していました。

第二次世界大戦が勃発し、ドイツ・ヒトラーのポーランド侵攻後のノルウェー侵攻を阻止出来なかったことでネヴィル=チェンバレン内閣が退陣、替わってチャーチルが40年に首相となります。

武器貸与法を定めて連合国側で参加することを明確にしたアメリカのフランクリン=ルーズヴェルトと、41年に大西洋会談を行って大西洋憲章を制定しました。

これに独ソ戦を開始したスターリンが賛意を示し、連合国陣営が完成しました。

43年にはカサブランカ会談で北アフリカ戦線を形成することに合意し、カイロ会談でローズヴェルトともに 蒋介石 と会談、日本に対する無条件降伏を求めることを合意します。

続いてテヘラン会談で始めてソ連の スターリン を加えて会談を開き、ファシズムに対する戦いを進めることを合意しました。

ノルマンディー上陸作戦の敢行後、45年の ヤルタ会談ではドイツ・日本の敗戦を前提に戦後世界の構築について協議し、国際連合の設立を約束しました。

しかしほとんど勝利を確信していた終戦直前に、国民の疲弊から アトリーの率いる労働党に敗北して首相を退きます。

その後も精力的に活動は続け、46年には「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸に鉄のカーテンが降ろされた」との鉄のカーテン演説を行い、冷戦時代の幕開けを告げました。

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西

参考

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