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蒋介石


概要

戦間期から第二次世界大戦にかけて、中国を指導した人物。

孫文の後を継いで国民党を率い、北伐、共産党への攻撃、合作と日本への抵抗、と政策を進めた。

戦後は共産党に追われる形で台湾の指導にあたる。

流れ→中華民国

時代

1887年〜1975年

場所

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詳細

第一次国共合作

蒋介石は1911年の辛亥革命では重要な役割を果たし、1925年に孫文が亡くなると蒋介石は中国国民党の指導者となって、広州国民政府を樹立、国民革命軍を編成します。

北部の軍閥勢力の排除を目的に、蒋介石の率いた国民革命軍が北伐を開始します。

一方国民党内では、24年以来第一次国共合作の最中で共産党員も参加できていたために右派と左派の対立が深刻になり、右派であった蒋介石は、左派(主に共産党員)を弾圧する上海クーデタを起こします。

彼は27年に南京国民政府をたて、その主席となりました(=国共分裂)。

共産党との戦い

北伐は続けられ、東北軍閥の張学良が統合を受け入れたことで、国民政府の中国統一がなし遂げられました。

国民党はアメリカ・イギリスの支援と浙江財閥の援助にも支援され、国民党一党での統一政権を目指し、共産党軍への攻撃や法幣への貨幣の統一などを行います。

一方共産党の毛沢東は瑞金に中華ソヴィエト共和国臨時政府をたて、国民党に対抗しました。

1931年、柳条湖事件を機に満州事変が起こり日本の中国侵略が開始されると、蔣介石は共産党勢力との戦いを優先するため、日本軍と塘沽停戦協定を締結して休戦します。

そして国民政府の攻撃を受けた共産党軍(紅軍)は、奥地を目指す長征を行い、瑞金から遵義、延安へと政府を移しました。

共産党側は、中国国内の反日運動を受けて八・一宣言を出し、抗日民族統一戦線の形成による国共の連帯を呼びかけていました。

反対していた蒋介石でしたが、36年に張学良に軟禁されて説得される西安事件が起き、提携に合意します。

日中戦争・第二次国共合作

37年に盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まると、ソ連のスターリンとの間で中ソ不可侵条約を締結、第二次国共合作の合意を行うなど、抗日戦争を指導しました。

日本軍は上海から南京に迫り南京事件を起こしますが、国民政府は武漢、重慶へと移動して抵抗を続けます。

日本軍はまた、汪兆銘を擁立し南京に親日政権を樹立しますが、国民の支持を得られずに膠着状態となりました。

蒋介石は重慶で抵抗を続け、第二次世界大戦中の爆撃にも米英からの援将ルートによる支援や共産党との抗日民族統一戦線により耐えました。

42年からは正式に連合国として参加し、カイロ会談にも参加しました。

戦後

日本が第二次世界大戦で破れると、日本軍が撤退したことで、抗日精神で結びついていた国共は再び対立しました。

蒋介石率いる国民党政権(右派)はインフレなどで批判を浴び、毛沢東率いる共産党(左派)が国民の支持により勢力を伸ばしていました。

45年10月10日の双十協定により一時的に免れた内戦は46年に勃発し、49年に本土では毛沢東を主席、周恩来を首相とする中華人民共和国が成立し、蒋介石は台湾にのがれ中華民国政府をたてることとなりました。

中華民国では、経済成長を実現させるものの戒厳令を敷くなどの独裁的な指導も見られる、開発独裁を行いました。

ニクソン訪中によって、中華人民共和国に国連代表権が取って代わられたすぐ後に亡くなりました。

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