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孫文

概要

清末から中華民国前期にかけて、全国の統一を目指し運動をおこしていた人物。

清朝を倒し中華民国を建国するも袁世凱に政権を奪われ、反発するが失敗し一度東京へと逃れる。

広州に戻り国民党をおこすが、北京を拠点とする政府軍、上海の共産党と対立する。

統一を目指し共産党との連携を確立したところで亡くなってしまった。

流れ→清、辛亥革命、中華民国

まとめ→中国王朝

時代

1866年〜1925年

1905年 中国同盟会成立

1912年 辛亥革命

1924年 第一次国共合作

場所

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詳細

第一革命(中華民国の建国)

海外に居住する中国人、華僑の間でおこっていた清朝打倒の動きを受け、ハワイで興中会を結成します。

その後日本に拠点を移し、宋教仁らを中心とする華興会、蔡元培らを中心とする光復会と合流して1905年に中国同盟会が成立します。

中国同盟会は三民主義(民族、民権、民生)を掲げて『民報』を発行し宣伝、各地で武装蜂起を行います。

1911年に武昌蜂起が成功するとこれが辛亥革命の発端となり、1912年に南京で孫文が臨時大総統へと選出され中華民国の建国が宣言されました(第一革命)。

第二革命(袁世凱との対立)

袁世凱 が清朝最後の皇帝、宣統帝を退位させると、彼に臨時大総統の座を取って代わられます。

国民党を結成した孫文や宋教仁でしたが、袁世凱が拠点の南京ではなく北京で独裁に近い統治を続けたためこれに反発、第二革命(袁世凱を下そうとする運動)を開始します。

臨時約法を受け入れさせ、選挙による政権決定を定めましたが、国民党の実質的指導者であった宋教仁が暗殺されたこと解散してしまい、第二革命に失敗に終わり孫文は東京へ亡命します。

その後も1914年に東京で中華革命党を結成すると、革命運動を秘密裏に進めていました。

北京政府、共産党との対立

北京で袁世凱の後をついで段祺瑞が権力を持つと、孫文は広州へとわたり、打倒のための広東軍を設置しました。

1919年に第一次世界大戦が終わるとナショナリズムの国際潮流にのり中国国民党を結成、その総理となります。

1921年に左派政権の共産党が上海を拠点にたてられると、右派である国民党は対立関係となりますが、北京の軍閥政府の打倒と列強の帝国主義政策への対抗を理由に、孫文は共産党への接近を試みます。

そのため、共産党と近い関係にあったソ連との提携を決定、「連ソ・容共・扶助工農」をスローガンとして協調路線の政策を進めます。

1924年に国民党の全国代表大会で協力が宣言され第一次国共合作が完成しますが、全国統一という志半ばで彼はなくなり、遺志は 蒋介石 に継がれることとなりました。 A669BAC924D34D5F8BEDCEB7CF9A6B99.png 孫文

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