毛沢東とともに中国共産党を率いて中華人民共和国の成立に貢献し、その初代首相となった人物。
戦後は外交政策を担当し、第三世界の中心的人物として活躍した。
1898年〜1976年
21年から共産党に加入し、毛沢東を支持していた周恩来は、36年の西安事件で蒋介石への第二次国共合作の説得に派遣され、提携に合意させることに成功しました。
日本が第二次世界大戦で破れると日本軍が撤退し、抗日精神で結びついていた国共は再び対立するようになります。
その争いを制して49年に毛沢東を主席とする中華人民共和国が成立すると、周恩来は首相となり、外交政策を任されます。
50年には中ソ友好同盟相互援助条約を締結、同年の朝鮮戦争では北朝鮮を支援して、毛沢東は冷戦の中で共産国としての姿勢を明らかにした一方、周恩来は毛沢東を支援しながらも独自の姿勢をとり、第三世界のリーダーとして活躍しました。
54年にはジュネーヴ会議に参加し、ネルーとはチベット問題について会議し「平和五原則」(注1)を発表、55年のインドネシア・バンドンで行われたアジア・アフリカ会議では平和十原則を打ち立てます。
その間毛沢東は工業化・農業集団化を目指して「大躍進」運動を推進しますが失敗に終わり責任をとって辞任、劉少奇が国家主席となります。
毛沢東の起こしたプロレタリア文化大革命と呼ばれる革命運動を周恩来は支持し、66年に劉少奇らを失脚に追い込みました。
しかし秩序を失った革命の収束はうまくいかず、「四人組」が台頭する中で亡くなりました。
の五つを原則として定めたものです。
関連動画