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中華人民共和国


概要

中華人民共和国が成立してから現在までのお話です。

毛沢東らの純粋な共産主義派と、劉少奇らの経済重視派が攻防を繰り返します

時代

1949年〜

詳細

内政

1949年に成立した中華人民共和国は首都を北京に定め、毛沢東と周恩来の下で国際的に勢力を伸ばします。

毛沢東は工業化・農業集団化を目指して「大躍進」運動を推進し、人民公社の設立などを進めます。

しかし性急な政策によって生産が落ち、餓死者が発生したことで失敗、59年に劉少奇が国家主席となります。

これに対し毛沢東は資本主義の復活を狙う「実権派」「走資派」と非難し、プロレタリア文化大革命と呼ばれる革命運動を起こし、66年に劉少奇は失脚します。

しかし毛沢東、周恩来が相次いで亡くなると、首相となった華国鋒は革命推進派「四人組」を逮捕し、革命は終わりを告げます。

そして78年に鄧小平を中心とした指導部は「四つの現代化」などの改革をすすめ、経済建設を重視する方針に転換しました。

しかし共産党の一党独裁体制は続き、不満を抱えた若者らが89年に民主化を求め集まり、武力で抑えられます。(天安門事件)

国際的に批判を受け総書記は変わりましたが、政策に変化は見られませんでした。

現在までこの体制は続き、急速な経済成長を実現しています。

外政

毛沢東は50年に中ソ友好同盟相互援助条約に調印し、社会主義圏に属する姿勢を明らかにします。

朝鮮戦争においても人民義勇軍を派遣するなど、北朝鮮側を支援しました。

しかし政権が代わった後、ソ連がアメリカとの平和共存路線を取りはじめると、党主席に留まり依然権力をもつ毛沢東がこれを批判し、63年から中ソ対立が始まります。

一方で周恩来は毛沢東を支援しながらも独自の姿勢をとり、第三世界のリーダーとして活躍しました。

関連単語

周恩来 / 中ソ対立 / 天安門事件 / 毛沢東

タグ

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