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中ソ対立


概要

冷戦後期に勃発した、中国とソ連の対立。

フルシチョフの平和共存路線に対する毛沢東の反発がきっかけだった。

中国・鄧小平とソ連・ゴルバチョフの改革により国交は正常化された。

流れ→中華人民共和国

時代

1950年代後半〜1989年

場所

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詳細

中国とソ連は双方共産国家を目指していたため、1950年には中ソ友好同盟相互援助条約を結ぶなどの協力関係にありましたが、ソ連のフルシチョフが平和共存路線を取り始め、毛沢東がそれを批判したことにより中ソ対立が始まります。

59年にはソ連が中国の核開発への協力を中止したことで対立が決定的になり、「大躍進」運動ではソ連の援助に頼らない工業化が目指されるようになります。

62年の中印国境紛争とキューバ危機で毛沢東はソ連を強く非難し、対立はダマンスキー島(珍宝島)事件のような中ソ国境紛争に発展しました。

70年代に入ると、米中接近が進み、毛沢東の死去や中越戦争などで状況が変化しますが、中ソ友好同盟相互援助条約は79年に期限切れにより廃棄されます。

ソ連のアフガニスタン侵攻に対しては、モスクワオリンピックをボイコットするなどで非難しました。

80年代に入ると、中国では鄧小平が改革開放路線を打ち出し、ソ連では ゴルバチョフ による改革が行われたことで、両国関係は急速に改善し、89年にゴルバチョフが訪中したことで30年ぶりに中ソ関係の正常化が実現されました。

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