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毛沢東


概要

戦間期から戦後にかけて、中国共産党及び中華人民共和国を率いた人物。

日中戦争に際して国共合作を呼びかけて成立させたが、第二次世界大戦後には再び分裂して国民党を台湾へと追いやり、大陸には中華人民共和国を成立させて自身はその主席となります。

共産的政策、「大躍進」の失敗により失脚、文化大革命で権力は取りもどしたものの、その混乱の収束に苦労した。

流れ→中華人民共和国中華民国

時代

1893年〜1976年

場所

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詳細

第一次国共合作・国共分裂

共産党に創立時から参加しており、第一次国共合作時には国民党にも参加しました。

27年の国共分裂後に、蒋介石の共産党への攻撃が始まると毛沢東は共産党を率いるようになり、瑞金中華ソヴィエト共和国臨時政府をたて、その主席となります。

1931年、柳条湖事件を機に満州事変が起こり日本の中国侵略が開始されると、蔣介石は共産党勢力との戦いを優先するため、日本軍と塘沽停戦協定を締結して休戦します。

国民政府の攻撃を受けた共産党軍(紅軍)は、奥地を目指す長征を行い、瑞金から遵義、延安へと政府を移しました。

第二次国共合作・分裂

攻撃を続ける国民党に対して毛沢東は、コミンテルン第7回大会で「反ファシズム人民戦線」をスターリンが宣言したこと、中国国内の反日運動が盛んだったことを受けて、八・一宣言を出し抗日民族統一戦線の形成による国共の連帯を呼びかけました。

36年に蒋介石が張学良に軟禁されて説得される西安事件が起き、共産党は周恩来を派遣し張学良を支持、提携への合意を成立させます。

37年に盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が始まると、蒋介石はソ連のスターリンとの間で中ソ不可侵条約を締結、第二次国共合作の合意を行うなど、抗日戦争を指導しました。

日本が第二次世界大戦で破れると日本軍は撤退し、抗日精神で結びついていた国共は再び対立するようになります。

蒋介石率いる国民党政権(右派)はインフレなどで批判を浴び、毛沢東率いる共産党(左派)が国民の支持により勢力を伸ばしていました。

45年10月10日の双十協定により一時的に免れた内戦は46年に勃発し毛沢東は紅軍から人民解放軍へと名前を変えた共産党軍を率いて戦いを有利に進めます。

49年に自身が主席、周恩来を首相とする中華人民共和国が成立し、蒋介石は台湾にのがれ中華民国政府をたてることとなりました。

中華人民共和国

50年には中ソ友好同盟相互援助条約を締結、同年の朝鮮戦争では北朝鮮を支援して、冷戦の中で共産国としての姿勢を明らかにします。

一方で周恩来は毛沢東を支援しながらも独自の姿勢をとり、第三世界 のリーダーとして活躍しました。

毛沢東は工業化・農業集団化を目指して「大躍進」運動を推進し、人民公社の設立などを進めますが、しかし性急な政策によって生産が落ち、餓死者が発生したことで失敗に終わります。

またソ連の主席がフルシチョフに代わり協調路線が取られると、毛沢東はそれを批判、中ソ対立の発端となりますがこれには国内の意見も分裂します。

59年に「大躍進」の失敗の責任を取り毛沢東が辞任すると、劉少奇が国家主席となり、鄧小平とともに資本主義をとりいれた経済調整政策を始めました。

毛沢東は資本主義の復活を狙う「実権派」「走資派」と非難し、学生からなる紅衛兵を動員するプロレタリア文化大革命と呼ばれる革命運動を起こし、66年に劉少奇らを失脚に追い込みました。

政権の奪取に成功した毛沢東は、秩序を失った革命の収束を目指すようになりますが、後継的存在でそれを担っていた林彪が失脚して失敗し、「四人組」によって文化大革命は存続します。

毛沢東、周恩来が相次いで亡くなり、首相となった華国鋒が革命推進派を逮捕したことで革命は終わりを告げます。 06DF988A9E034F54B543C1AA2669C780.png

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