東インド会社
概要
東南アジアとの香辛料貿易のために設立された会社。
イギリス、オランダ、フランスと相次いで同時期に立てられたが、経営状況は各国かなり異なる。
流れ→海外進出
時代
イギリス 1600年〜 1858年
オランダ 1602年〜1799年
フランス 1604年〜1796年
場所
詳細
イギリス
エリザベス1世 の時代の海外進出の取り組みの1つとして設立されました。
当初は東南アジアを対象に交易を試みていましたが、1623年のアンボイナ事件以後はインドに注力します。
マドラス(チェンナイ)・ボンベイ(ムンバイ)・カルカッタ(コルカタ) を拠点として盛んに展開します。
イギリスは17世紀半ばに英蘭戦争でオランダと講和、18世紀半ばには第2次英仏百年戦争と呼ばれる各地で展開されたフランスとの戦いにも勝利し、イギリス領インドの基礎が据えられました。
この時、東インド会社にはベンガル地方の徴税権が与えられます。
19世紀に入ると自由主義の普及にともなって自由貿易が主張されるようになり、1833年にインド統治法で貿易特権が廃止されました。
このことにより、イギリス東インド会社は商業団体ではなく政治的統治主体となりました。
1858年にムガル帝国が滅亡すると、本国が直接統治をするために東インド会社は解散されました。
流れ→宗教改革、イギリス革命、パクス=ブリタニカ、インド植民地化
オランダ
1602年に設立されたオランダ東インド会社は、主に東南アジアとの香辛料貿易で栄えていました。
特にアンボイナ事件でイギリスに圧力をかけられるようになるとますます盛んになります。
しかし18世紀の英蘭戦争、オランダ侵略戦争によって国家が危機を迎え、フランス革命の余波でネーデルランド連邦共和国が崩壊すると、東インド会社も18世紀末に解散することとなりました。
フランス
1604年に貿易のため設立された東インド会社でしたが、十分な成果があげられていませんでした。
コルベールが1664年に再建し、国王の出資を得たことでアジアとの交易が盛んになっていきます。
インドではシャンデルナゴル・ポンディシェリを拠点として活動し、ポンディシェリ総督のデュプレクスが勢いを持つなどしていましたがイギリスに敗れると経営は悪化し、18世紀末に解散しました。
流れ→主権国家(フランス)