パクス=ブリタニカ
概要
「世界の工場」として栄華を誇っていた時代のイギリスについてのお話です。
選挙法改正などの重要な改革が数多く行われたことが特徴です。
時代
18世紀末〜19世紀
詳細
自由主義改革
18世紀末以降、革命を経たイングランドではハノーヴァー朝の下で責任内閣制が取られ、トーリ党の政権が安定して統治をおこなっていました。
ウィーン体制にも組み込まれるものの、カニング外相の元で市場開拓のためラテンアメリカ独立を支援するなど、次第に現状維持の方向からは距離を置くようになります。
そしてウィーン体制は崩壊してからは、どの国とも同盟を結ばない「光栄ある孤立」の姿勢を取りました。
1820年代には審査法が廃止され、カトリック教徒解放法が成立するなど、自由主義的な政策が数多くとられるようになってきました。
また1832年にはホイッグ党内閣が第1回選挙法改正を行い、腐敗選挙区の廃止や、産業資本家への選挙権拡大などが実現されました。
一方、選挙権を得られなかった労働者らは人民憲章を掲げて、チャーチスト運動を起こしましたが、即座的な効果はあまり得られませんでした。
そして穀物法や航海法の廃止など、産業資本家に有利な自由貿易政策を実現しました。
社会主義思想の誕生
当時イギリスは「世界の工場」として経済力を高めていたものの、労働者の生活は悲惨でした。
その後オーウェンが労働者の待遇改善を唱えたことや、工場法が定められたことで労働条件は次第に改善されていきました。
またこのような状況から社会主義思想が拡大するようになりました。
パクス=ブリタニカ
19世紀半ばのイギリスは産業革命を経て、ヴィクトリア女王の治世の下、ロンドン博覧会が開かれるなど、パクスブリタニカと呼ばれる、繁栄の絶頂にありました。
そしてホイッグ党を元とする自由党と、トーリ党を元とする保守党の二大政党制という、典型的な議会政党政治が成立しました。
また選挙制度についても、1867年の第2回選挙法改正で都市労働者が、1884年の第3回選挙法改正で農業労働者が選挙権を獲得しました。
このような国内状況のもと、インドを植民地化するなどの帝国主義政策も展開していくのです。
アイルランド問題
アイルランドは19世紀初頭にイギリスに併合され、住民はジャガイモ飢饉を経験するなど、苦しい生活を送っていました。
アメリカへ移住するなど移民が発生したほか、独立の気運も高まっていました。
しかし80年代には、自由党のグラッドストンがアイルランド自治法案を提出するも議会を通過せず、また一次大戦時の保留もあり解決は20世紀半ばに持ち越されることとなります。