不況と秩序の崩壊
概要
第一次世界大戦の影響で、世界的な不況が続きます。
その影響で政治は不安定となり、ファシズムの影が見えるようになります。
まとめ→大戦
時代
1920年代
場所
詳細
イギリス
第一次世界大戦での経済打撃から不況に苦しみ、選挙法改正により1928年、21歳以上の男女に選挙権が認められると、翌29年、マクドナルド率いる労働党が第一党になります。
アイルランドは31年のウェストミンスター憲章でイギリス連邦の一部となることが決定するも、37年にはエールを国名として事実上独立をします。
フランス
ドイツの強大化を恐れたフランスは、ヴェルサイユ条約の賠償支払いを厳しく要求します。
支払い不履行を理由に非武装地域であったルール占領を行いますが、国際批判を浴び失敗し、政権が国際協調派へと移ります。
外相となったブリアンはドイツとの和解に努めました。
ドイツ
1919年、社会民主党が共産党を抑え、エーベルトが大統領に選出されると、民主的な憲法、ヴァイマル憲法が制定されます。
しかし、フランスの賠償要求などにより不安定な情勢でした。
23年のルール占領によるボイコット運動などでは生産が激減、インフレーションを引き起こされました。
同年夏に首相となったシュトレーゼマンはレンテンマルクの発行などでインフレーションを克服、国際協調も進めますが、世界恐慌に見舞われたことで右派が力を持つようになります。
東欧
民族が混在する東欧では、民族運動の高まりにより独立の機運が生まれます。
しかし不況により苦境に陥り、強権的な政治が横行しました。
ポーランドではピウスツキがクーデタにより実験を握ります。
ハンガリーでは革命を起こすも政権は倒され、国王も政権もない、権威体制(教会などの権威が権力を握る体制)が続きました。
バルカン半島では諸国がまとまり、29年にユーゴスラヴィアとなります。
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