イギリス革命
概要
二度の大きな革命を経て、イギリスの国家体制が王政→共和政→王政→責任内閣制と変化していく時代です。
時代
17世紀初め〜18世紀前半
場所
詳細
ピューリタン革命
テューダー朝の後ステュアート朝を開始したジェームズ1世は、王権神授説を唱え専制政治を行いました。 議会は国王の専制を批判した権利の請願を可決しましたが、チャールズ1世は議会を解散し、またスコットランドに国教会制度を強制しようとしたため反乱が起こりました。
その後独立派のクロムウェルが主導してピューリタン革命が起こり、王政が倒れて共和政が始まりました。また航海法を制定したことで、貿易を阻害されたオランダとの間で イギリス=オランダ戦争(英蘭戦争) が起こりました。
名誉革命
終身の護国卿として独裁体制をしいていたクロムウェルに対して国民の不満が高まり、議会を尊重することを約束したチャールズ2世が国王として迎えられ、王政が復活しました。
しかし専制的な態度をとったチャールズ2世に対して、議会は審査法や人身保護法を制定して対抗しました。
そしてジェームズ2世の即位に際して、賛成派のトーリ党と反対派のホイッグ党が成立しました。
議会が可決した権利の宣言を受け入れたウィリアム3世とメアリ2世が王位につき、権利の章典が制定されたことで、立憲王政が確立されました。
スチュアート朝最後のアン女王の治世に、イングランドとスコットランドが合同して大ブリテン王国が成立しました。その後ドイツから招かれた国王がジョージ1世として ハノーヴァー朝 を始め、ホイッグ党のウォルポールが首相となったことで責任内閣制が形成されました。
補足
ジョージ1世は神聖ローマ帝国の選帝侯であり、ドイツで育ったため、国王に就任した時は英語をあまり理解できませんでした。
そのため、政務を首相のウォルポールに任せていたことで、責任内閣制が発展しました。