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第二帝政


概要

ウィーン体制下で王政が復古したフランスにおいて、フランス革命を起源とした国内の統合が進められていきます。

第二共和政の後にルイ=ナポレオンを皇帝とする第二帝政が成立しますが倒され、臨時国防政府による第三共和政が始まります。

まとめ→近代ヨーロッパフランス

時代

1852年〜1870年

詳細

フランスでは、ウィーン会議で唱えられた正統主義の理念に基づき、ブルボン朝が復活し、ルイ18世が皇帝をつとめていました。

しかし、七月革命でオルレアン家のルイ=フィリップが王位につき、二月革命後、臨時政府による共和政が行われていました。(第二共和政)

そしてナポレオンの甥のルイ=ナポレオンは大統領選挙で当選しましたが、クーデターをおこして独裁権を握り、国民投票で皇帝となって第二帝政を開き、ナポレオン3世を名乗りました。

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ナポレオン3世は国内では、英仏通商条約を結んで国内産業を育成しました。

一方でナポレオン3世は、国民の人気を重視したため、クリミア戦争アロー戦争、イタリア戦争、インドシナ出兵などの積極的な外交政策を展開しました。

しかしメキシコ戦争や普仏戦争に敗れると、1870年にパリで蜂起が起こり、帝政は崩壊して、臨時国防政府(臨時政府)が成立しました。

ドイツによって突きつけられた屈辱的な講和条約に対して、民衆や社会主義者は反対して、パリ=コミューンという自治政府を結成しましたが、臨時政府側に倒されました。

ドイツへの賠償金完済後も、フランス国内の政体をめぐって、王党派と共和派の対立が続き、1875年に共和国憲法が据えられると、第三共和政への基礎となりました。

国内の安定を固めたフランスは、帝国主義政策を進めていきます。

関連単語

クリミア戦争 / 第三共和政 / ナポレオン3世

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