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クリミア戦争


概要

ロシアの南下政策の一環として行われた、オスマン帝国との戦争。

イギリス・フランスがロシアの南下を警戒しオスマン帝国側につき、ロシアを下した。

ロシアは戦争中にニコライ1世からアレクサンドル2世に皇帝が代わり、彼はその後しばらく国内改革に努めた。

流れ→南下政策

まとめ→近代ヨーロッパロシア

時代

1853年〜1856年

場所

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詳細

ロシア(ニコライ1世)とオスマン帝国の戦争です。

南下政策の一環として、オスマン帝国内のキリスト教徒保護を口実に、ロシアがセヴァストーポリ要塞に迫ったことで開戦しました。

ロシアを警戒したイギリス(ヴィクトリア女王)フランス(ナポレオン3世) が介入し、イタリア統一運動中であったサルデーニャ王国も好意を得ようと参戦しました。

戦争の最中にニコライ1世が急死、アレクサンドル2世が即位します。

要塞が陥落したことで1856年パリ条約(注1)で講和が成立しました。

ロシアが内政改革を進めるきっかけとなったこの戦争は、トルストイが参加したことでも知られています。

(1) パリ条約

押さえるべき条項は以下の通りです。

  • ダーダネルス・ボスフォラス海峡の全軍艦通過禁止

  • 黒海の中立化

  • オスマン帝国のキリスト教徒は列強の保護下に

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