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南下政策

概要

ウィーン体制で列強として発言力を強めていったロシアについてのお話です。

不凍港を求めた南下政策は主に地中海への進出を目指し、オスマン帝国に対して取られます。

ギリシャ独立戦争で対立し領土を獲得した後、協調路線でエジプトトルコ戦争を戦うも、イギリスなどにより南下は阻まれます。

その後再び対立路線に切り替えクリミア戦争、露土戦争を戦うも、やはりうまくいきません。

まとめ→近代ヨーロッパ、ロシア

時代

19世紀

場所

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詳細

アレクサンドル1世

エカチェリーナ2世の後に皇帝となったアレクサンドル1世は、ウィーン体制下で積極的な外交政策を展開します。

民族運動の高まりから、さまざまな地域がオスマン帝国からの独立を画策しますが、不凍港と地中海への出口を求めてオスマン帝国を支持します。

ギリシアが独立しようとすると(ギリシア独立戦争)、イギリス・フランスとともにギリシアを支援しますが、アレクサンドル1世は戦争中に亡くなります。 C23A0031F5EC42899F40350F484C51B5.png

ニコライ1世

アレクサンドル1世の後継のニコライ1世の治世下に、ギリシア独立が国際的に認められ、ロシアも黒海沿岸の獲得に成功します。

オスマン帝国の支配下で自治を認められていたエジプトが、領土を求めてエジプト=トルコ戦争を開戦すると海峡への進出を期待して今度はオスマン帝国を支持します。

これに対しフランスはエジプトへの進出に関心を示し、これらの動きを警戒したイギリスはどちらの動きも阻止、1840年のロンドン条約でロシアの南下政策はさえぎられます。

さらに南下政策を推進するため、オスマン帝国に協力して領土を譲ってもらう方向から、対決して奪い取る方向へと切り替えます。

1848年革命の際には、オーストリアを支援して、コシュートの指導するハンガリーの民族運動を制圧したことから、反革命の擁護者として「ヨーロッパの憲兵」と呼ばれるようになります。

この勢いを利用し、オスマン帝国内のギリシア正教徒の保護を口実に開戦、クリミア戦争が始まります。

クリミア戦争において、イギリスとフランスは、ロシアの南下政策を阻止するためオスマン帝国側を支援しました。

敗れたロシアは、パリ条約でロンドン条約で定めた黒海の中立化を確認させられ、南下政策は失敗しました。

アレクサンドル2世

クリミア戦争中に死去したニコライ1世に代わって即位したアレクサンドル2世も、南下政策を取り続けます。

オスマン帝国下のボスニア・ヘルツェゴヴィナでの農民反乱に乗じて再び開戦し、露土戦争が生じます。

勝利したロシアは、サン=ステファノ条約でブルガリアを保護下におくことを認めさせました。

しかし、ロシアの南下政策の成功にオーストリアやイギリスは反対したため、プロイセンのビスマルクはベルリン会議を開き、ベルリン条約でロシアの南下政策ははばまれました。

そして一連の南下政策の失敗を踏まえ、近代化改革を進めていきました。

ノート

*本文にない内容を含んでいます E4A3835318E5467F986125227F571658.png

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