南下政策がひと段落した際のロシアの内政についてです。
アレクサンドル2世が近代化改革を行いますが、産業発展の不十分さが不満を引き起こし、農民と知識人層の溝も生まれます。
19世紀後半

クリミア戦争の敗北により、戦争中にニコライ1世の後を継ぎ即位したアレクサンドル2世は国内改革に迫られます。
他の諸国も国内問題解決に集中したため、干渉は受けませんでした。
1861年に農奴解放令を出し人格的自由を農奴に認めますが、土地は領主から買い取らなくてはなりませんでした。
そのため土地を買い戻せずに農村共同体(ミール)に引き渡されることが多く、農民の不満は解消しませんでした。
また ポーランドの反乱が起きると、再び専制を強化します。

インテリゲンツィア(知識人階級)を中心に、「ヴ=ナロード(人民の中へ)」を掲げて農民を啓蒙しようとするナロードニキ(人民主義者)が登場しました。
しかし農民は保守主義を持ち同調しなかったため、ナロードニキの一部はテロリズムに走りアレクサンドル2世らを暗殺、社会主義思想を持つ集団も現れます。
そして皇帝にはニコライ2世が即位し、帝国主義政策をすすめます。
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