フランスまとめ
概要
フランス史のまとめです。
王政が倒され共和政になりますが、複雑な経緯を経ています。
まとめ図
詳細
メロヴィング朝、カロリング朝
フランスを含む広大な地域を治めたメロヴィング朝は、5世紀にゲルマン人のクローヴィスにより立てられた国です。
8世紀に宮宰カール=マルテルがキリスト世界をイスラームからトゥール・ポワティエ間の戦いで守ったことから権威をまし、子のピピンがカロリング朝を立てます。
寄進によりローマ教会との結びつきを強めると、子のカール大帝は戴冠され皇帝の位を授かります。
カペー朝
フランク王国が9世紀に分裂して成立した西フランク王国が、現在のフランスの原型となります。
フランク王国から引き継がれたカロリング朝が10世紀に途絶え、カペー朝が開かれます。
12世紀、フィリップ2世はイギリスのジョンとの争いに勝利、13世紀のルイ9世も領土を広げます。
14世紀、フィリップ4世はアナーニ事件を起こし、三部会を開きます。
ヴァロア朝
血統が途絶えフィリップ6世により開かれたヴァロア朝ですが、これを巡り百年戦争が起こります。
15世紀にはいるとシャルル7世に王権が移り、苦戦を強いられながらも百年戦争に勝利します。
その後、拡大政策をとったことでイタリア戦争も勃発し、ハプスブルク家との対立が始まります。
16世紀には宗教改革の影響からユグノー戦争がシャルル9世の治世下で起こります。
アンリ4世がナントの王令を出したことで新教の信仰の自由が認められ、同時にブルボン朝が始まります。
ブルボン朝
フランス革命前
ブルボン朝の王たちは、有能な宰相をつけ王権拡大政策を進めます。
17世紀、ルイ13世はリシュリューをつけ三部会を停止、ルイ14世はマザランをつけフロンドの乱を抑えるなどします。
またルイ14世の時代には、コルベールを中心に重商主義を掲げた海外進出も積極的に行われます。
本土でも拡大政策はとられ、南ネーデルランド継承戦争、オランダ侵略戦争に勝利、王権の最大期を迎えます。
しかしオランダ戦争、18世紀頭のファルツ継承戦争で立て続けに敗れると影が差します。
ルイ15世に王権が移り、オーストリア継承戦争では勝利するものの七年戦争で外交革命の末に敗れ、並行して戦っていた北米でのイギリスとの戦争にも破れると、国民の不満が露になります。
ルイ16世はテュルゴーやネッケルを採用し財政改革を試みますが不満はそらしきれず、フランス革命を招きました。
フランス革命以後
元の絶対王政の下で憲法が定められ、立憲君主制が成立しますが不信感は増す一方で、第一共和制へと移ります。
しかし共和制の中でロベス=ピエールが独裁的になり混乱を招き、19世紀初頭にナポレオンが登場、帝政を始めます。
これが周辺各国の警戒をうみ戦争を招き、ウィーン会議により終結します。
ウィーン体制によりルイ18世の即位で復活したブルボン朝でしたが、七月革命で別家のルイ=フィリップが王位につき、二月革命により第二共和制が始まります。
そして選挙で選ばれたルイ=ナポレオンはクーデターを起こし、ナポレオン3世として第二帝政をはじめ、ビスマルク体制の中では孤立しながらも積極的な外交政策を展開します。
普仏戦争に敗れると再び民衆が蜂起、臨時政府がたちます。
パリコミューンも経ちますが、これは臨時政府により倒されます。
憲法が据えられたことで第三共和政が確立しました。
第三共和政、第四共和政、第五共和政
19世紀後半に確立した共和政ですが、主に社会主義勢力による批判がしばしばありました。
ブーランジェ事件などがその代表です。
他の列強同様、横断政策を展開したアフリカや中国、東南アジアを植民地化します。
ビスマルク体制から抜け出すと協商国となり、第一次世界大戦をむかえることとなります。
世界恐慌にブロック経済で対抗すると、連合国として第二次世界大戦に参戦しますが、枢軸国の傀儡政権、ヴィシー政府がたてられ第三共和政が崩壊します。
戦後第四共和政が復活しますがアルジェリア独立をめぐり崩壊、ドゴールを首相として第五共和政が発足し、冷戦では独自の立場をとりました。
またアルジェリア、ベトナムをはじめとした旧植民地域の独立を巡っては争いも起きています。