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この授業の不満点としては、(2)の正方形をz=1上で図示した際にx軸、y軸との交点に1を書き忘れました。また(2)のラストの答えにマイナスの座標も書き込むべきだったかもしれない、と振り返った時に感じました。ここで言いたいのは、完璧主義はストレスしか生まないということです。客観的に見ると何を悩んでいるんだと思うようなことだろうとは思っても、本人は地獄の苦しみを味わっていて自分なりに100点と判断できる授業は基本ないです。完璧主義も神経質も生まれつきな気がしますので、それとどう向き合っていくかですね。
2024年の小中高校生の自殺者が過去最多というニュースを見ました。普段、僕は真っ暗だった高校時代のことをよく書いていますが、僕自身、実は高校時代に何度も死にたいと感じていたことを踏まえて真剣に以下を記していこうと思います。僕が絶望していた要因は、今考えると「自分は何者でもないという自己効力感の欠乏。高校生だから経済的に一人で生きていくこともできない。ちゃんと出席して高校を卒業しなければ本当にこの先真っ暗だ。」というような感覚からだったと思います。特に小さい頃からある程度勉強をしてきた人間にとって、自分がモブキャラ、有象無象であることを認めなきゃいけない時期、年齢が来たときに、最も「自分は何者でもない」と絶望するのだと思います。
そこからの道のりは僕自身でもかなり長かったです。絶望から抜け出して、死にたいとまで思うことがなくなったのは、大学生になり個別指導塾の講師のアルバイトをして、生徒の役に立っていると感じたときです。大学生になると、自由の幅が増えて自分を置く場所によっては誰かの役に立てるので、そう考えると高校時代、または浪人時代が最も人生で苦しい時期となる可能性が高いです。
ただ、仮に大学受験がすんなり上手く行っても、大学時代をのうのうと過ごすと社会人になって「自分はモブキャラだ」と気づく場合もあるでしょう。これを読んでいる人が今どの状況に当てはまるかわかりませんが、もし絶望していないなら、大学入学と同時に大学生としての時間の使い方を毎日毎日自問自答し、周りに流されずに過ごすことを強く勧めます。
「周りに流されない」ということが大事です。
僕は大学時代、毎日少なくとも一コマは空いている教室の黒板で一人板書の練習をしていました。授業中のほとんどで赤本を開いていました。大学3年くらいに集団授業の塾での講師のアルバイトを始めて以降、午後2時とかに塾に行き、空いてる教室を借りて誰も座ってない教室で90分大声でリハーサルをしてから夕方以降の集団授業に毎回のぞんでいました。毎日問題を作成し、春夏冬は自分で予備校の講座を申し込んで、受験生に混ざって授業を受けてノウハウを学びました。僕は大学入学時のクラスの自己紹介で「夢は日本一の予備校講師になることです」といつも言っていました。周りからはどう見えていたか実際のところはわかりませんが、あからさまに白い目で見られた経験はありません。僕が気づいてなかっただけかもしれませんが。
ここで言いたいのは時間さえあれば想像以上にできることは多い、ということです。
人が幸せを感じる要素の重要度合いについて、最近話題になっていたものを記します。
友人家族の絆>生きがい>資産>社会的地位
だそうです。ここでいう資産とは働かなくても生きていけるだけの資産のことで、自由な時間とも言い換えられます。
僕も基本的には同意です。高校生でいうところでは、学歴つまりここでいう社会的地位の手前のようなものが重視されがちですが、高校生でも友人や生きがいを意識することは可能だと思います。
社会人になると社会的地位や仕事の利害関係が邪魔して、仮に趣味のコミュニティでも中々高校大学時代のような友達はできにくくなります。というかできなくなります。なので今いる友達が人生を通して時折連絡をとる最後の友達かもしれません。
話がコロコロ変わりましたが、今絶望してても絶望した分だけ、その後、生きていてよかったと思う時が来るはずです。僕がそうだからです。