慶応義塾大学文学部 岑村傑 教授
タイトル:近代フランスの刑罰である徒刑場、流刑地が現代作家ジャン・ジュネに与えた影響
慶応義塾大学文学部の岑村傑教授は、フランス近代が生んだ特異な刑罰である独房と徒刑場、流刑地がフランスの現代作家ジャン・ジュネの創作にどのような影響をおよぼしたのかを研究しています。岑村教授の博士論文はフランスで刊行された『ジャン・ジュネ全戯曲集』でも参照されるなど、評価を得ており、いまだ「泥棒作家」というレッテルを貼られたままの感のあるジュネの多面的な実相を、彼の文章の翻訳、あるいは彼の作品の受容史研究を通じ日本の読者に紹介しています。
「私が研究対象にしていますジャン・ジュネという作家なんですが、1910年生まれで1986年に亡くなっているのでほぼ20世紀をカバーしている、20世紀を生き抜いた作家なわけです。その作品の中でも日本で一番有名なのは「泥棒日記」という作品があります。ジャン・ジュネというと泥棒作家という風に皆さんの中ではとらえられることが多い作家です。その以前にも戦前から小説家、詩人としていくつか作品を発表していまして。その作品についての、どちらかと言うと前期ですね、前期の小説作品についての研究を進めているというのが私の研究です。」
岑村教授は独房と流刑地というふたつの刑罰制度についてジュネ以外の作家の作品に登場するその表象を検討することにも力を注いでいます。たとえば流刑地については、これまでに、恋の証としての流刑地への道行きがひとつの文学的伝統を形成していることや、徒刑囚の帰還というモチーフがバルザックやゾラの作品のなかで重要な役割を果たしていることを明らかにしました。
「ジャン・ジュネという作家はかなり特異な出自をもっていまして、もともとは孤児なんですね。母親が生んですぐに孤児院の前に捨ててしまった子供です。フランスというのは、孤児院に入れられたらある種国家の子供とします。共和国の子供として様々な施設を転々としながら、小作のような形である種の手に職をつけさせて国家に奉仕できるような形で成人にしていくっていう、そういうシステムが出来上がっていたんです。(ジュネは)途中でそういうような道は捨ててしまって、その施設から脱走するんですね。脱走したら基本的にものを食べられませんから、軽犯罪を繰り返して生き延びていくっていうそういう生活をしていました。そういう境遇の人たちが生き延びる手段がもう一つあって、それは兵隊になることだったんですね。兵隊には契約期間がありますから契約期間が終わると、また巷に出て何か怪しげな生計の立て方をしているという、そういうことを繰り返していた時期があったんですね。」
岑村教授は刑罰制度と文学についての研究において、先行している研究の成果を継承しつつ、「子どもの流刑地」と呼ばれた少年感化院についての歴史的、文学的探求を進めるなどして、より総合的な研究を続けています。
「ジャン・ジュネという作家は表面だけ見れば、私あるいは日本の一般の方から見れば遠い存在だと思います。ジャン・ジュネというのは確かに異端で逆境の中を生きてきたんですけれども、それはそのまま私、または私たちが生きている俗にいう通常の世界の鏡なんですね。自分が生きている世界の安定性を疑うことによってその新たな価値が見えてくるんだろうなと言う風に思いますので、常に考えろとジュネには言われているような気がしながら、ジュネの研究をしているというところです。」