慶應義塾大学文学部の安形麻理准教授は古い書物、特に15世紀の印刷本の書誌学的な研究をデジタル技術やコンピューターを活用して行っています。分析書誌学は、広義の書物を物理的な「モノ」として扱い、活字や紙、ページレイアウトといった、内在する証拠を用いて、その書物の成り立ちにまつわる疑問を明らかにする学問で、各時代の最新の科学的手法を採用してきました。慶應義塾図書館にも所蔵されている西洋最初の活版印刷本であるグーテンベルク聖書についての研究が安形准教授の大きな柱になっています。新しい技術を用いて古い書物の研究を行うことで、現代社会に強い影響を及ぼしている印刷という技術や書物のあり方についてより深く理解することが出来ると考えています。
「私がずっとやってきましたのはグーテンベルク聖書の残っている本同士で比較すると言うことです。現代の本でしたら同じ刷りでしたら中身は絶対に同じなわけですけれども、手引き印刷の場合、1830年代くらいまでの本と言うのは、実は中にいろいろな違いがあるのが珍しくありません。そうすると、本当に印刷したかった本文と言うのは何なのか、と言うのは色々全部見ないと分からないと言うことになるわけです。ただし15世紀の印刷本でどうだったのか、そういう印刷中に修正するなどの作業が行われていたのかどうかと言うことは全く分かっていませんでした。」
いままで本文の比較研究の必要性は認識されていたものの、実現する手段がありませんでした。安形准教授は市販のソフトウェアを応用し、デジタル画像の重ね合わせを行うという校合手法を提案することで、肉眼や光学式校合機といった従来の方法に比べ、効率的で正確かつ客観性の高い校合を可能にしました。
「画像を使えばいろいろな場所に大事に保管されているものをコンピューター上で重ねたりですとか、いろいろな形で工夫することで効率的に比較をすることができるということになります。実際に私の手に入ったデジタル画像を全ページ比較してみたところ、やはりかなりのページにいろいろな修正が見つかりました。」
安形准教授はデジタル画像として入手できたグーテンベルク聖書の9部の現存本を全ページ、上下巻で1,282ページ、を校合し、補足的に23部の他のデジタル画像や原資料の調査を行いました。その結果、現存本の本文にさまざまな違いを発見し、世界最初の印刷所でも印刷中に修正作業が行われていたこと、ただし修正は各ページを印刷する初期の段階で一度行われただけであること、紙の方が羊皮紙ページよりも先に印刷されていたこと、活字の形の使い分けに関する厳密な規則が適用されわざわざ印刷機を止めて修正するくらいであったことなどを明らかにしました。
「共同研究と言うのが今人文学でも増えてきています。こう言うデジタル画像、コンピューター、そういう物を応用した研究ですと、どうしても国内であれ、海外であれ、研究グループのような形を作って研究をしていくスタイルが実際増えてきています。今、自分の中で一番行いたい研究としては、グーテンベルクの活字の作り方は西洋の本当の活版印刷術の根本にかかわる問題だと思うのですけれども、その活字の鋳造方法について、やはりデジタル画像を使って、クラスタリングとかそういう処理をかけることによって、検証していきたいという風に考えています。」