コンスタンティノープル
概要
トルコとギリシアの国境にあり黒海の入り口となる都市で、長らく交通の要所として発展してきた。
ギリシャ、ローマ、ビザンツ、オスマン帝国と渡っていく。
流れ→十字軍
まとめ→中世ヨーロッパ
時代
330年〜1453年
場所
詳細
ギリシアの植民市、ビザンティオンとして開発が始まります。
ローマの支配下に入ると、330年にコンスタンティヌス帝により都とされ、コンスタンティノープルと名前が変わります。
ボスポラス海峡に面した都市で、古くから交通の要所でした。
ローマが分裂すると東ローマ帝国の都となり、ビザンティウムという名称も用いられます。
ユスティニアヌス帝によりこの地のハギアソフィア大聖堂が大改修され、ギリシア正教の総教首座とされました。ンティウムという名称
第4回十字軍では商人によりラテン帝国が建てられ、目的の混迷の代表格となっていますが、その後もビザンツ帝国最後の領土として守られ続けました。
1453年にオスマン帝国のメフメト2世により陥落しました。
次第にイスタンブールという名称が浸透し、ハギアソフィア大聖堂もモスクに改装され、尖塔(ミナレット)も建てられます。
補足
教会大分裂を終わらせた「コンスタンツ公会議」のコンスタンツはドイツの都市で、コンスタンティノープルとの直接の関係はありません。
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