中世ヨーロッパまとめ
概要
現在のヨーロッパの国の基礎が作られた中世ヨーロッパのまとめです。
中世ヨーロッパはキリスト教中心の社会で、キリスト教の長、教皇と、それぞれの国の国王との権力争いが行われました。
## まとめ図
詳細
5世紀のヨーロッパは、東西ローマに別れた状態で安定していました。
そんな中、ゲルマン人の大移動がおこったことで安定は大きく揺らぎます。
ゲルマン人の立てた国の中で、とりわけ大きな存在感を放ったのがフランク王国でした。
イスラム世界から守ったことや寄進したことで教皇に接近し、戴冠を受けたことで西ローマ帝国が復活します。
しかし9世紀半ばに分裂、東西フランク(ドイツ、フランス)とイタリアとなりました。
東フランクは「皇帝」の位を与えられたことで神聖ローマ帝国となります。
1077年のカノッサの屈辱以来地位は揺らぎ、皇帝のいない大空位時代を経て「金印勅書」により七選帝侯のいる諸国へとなります。
西フランクはイギリスにも教皇に対しても順調に権力を強め、百年戦争では一時危機となるものの勝利を納めます。
イギリスではゲルマン人のアングロサクソン王国が倒され、ノルマン人による王朝が立てられます。
百年戦争に負けると、王朝の継承争い、バラ戦争がおこり、テューダー朝がたったことで収束します。
東ローマ帝国は聖像禁止令を出したことで西ローマと対立しますが、イスラム勢力の侵攻に、西ローマ教会に助けを求めます。
教皇は当初フランク王国に守ってもらう弱い立場でありましたがカノッサの屈辱を機に教皇権が上昇します。
しかし東ローマの要請に応えて十字軍を派遣しうまくいかなかったことが要因となり再び下降、アナーニ事件が起き教皇が二人となる大シスマとなりました。
この頃の農民は封建制により土地に縛られる、窮屈な生活をしていました。
商人は独自に都市を作り、盛んに交易が行われていました。
補足
画像は文字が多く混乱してしまうと思います。
世界史が1周目なのであれば、黒字の国の移り変わりだけ押さえておきましょう。
分裂の様子がわかっているだけでだいぶわかりやすくなります。
一度詳しいものを学んだ人は、そのまとめとして細かい字の部分を確認しましょう。
さまざまな問題別に描かれていることが多いので、特に教皇は動向の時代錯誤が起きやすいです。
人の名前を中心に確認するのが抜け漏れ出にくいためおすすめです。