アプリ「okke」で効率よく学ぶ!

コンスタンティヌス


解説

デオクレティアヌス帝の後に再び混乱したローマを、それまで迫害されてきたキリスト教を313年ミラノ勅令により公認し安定化させた皇帝。

325年に開催したニケーア公会議ではキリストと神が同質であるとする アタナシウス派が正統 、両者を異質とするアリウス派が異端とされます。

首都をビザンティウムに遷しこれをコンスタンティノープルと改称し、金貨の発行による経済安定を実現するなど皇帝権限を強化することで安定を図った。

流れ→帝政ローマキリスト教

まとめ→ローマオリエントと地中海世界

311E90987E574323A42C7E92ADE60F3D.jpeg 彼の子コンスタンティヌス2世が建築を始めた建築物でユスティニアヌス帝により再建された。初めはキリスト教の大聖堂でしたが、オスマン帝国の侵入以降はイスラム教のモスクとして改築されました。

現代では博物館として利用されていましたが、2020年にモスクに戻されました。

時代

306年〜337年

313年 ミラノ勅令

場所

264E9CB73BC84BD590FBBB420D94B251.jpeg

補足

ニケーア公会議では「アリ」ウス派が否定されてアタ「ナシ」ウス派が肯定されます。

ややこしいですね。

タグ

# 313年
# アタナシウス派
# アリウス派
# コンスタンティヌス
# コンスタンティノープル
# ニケーア公会議
# ビザンティウム
# ミラノ勅令