アタナシウス派
概要
キリスト教が認められて以降、中心となっている教義。
三位一体説としてのちに確立される。
まとめ→ローマ、オリエントと地中海世界
時代
1世紀〜
4世紀 ニケーア公会議
5世紀 エフェソス公会議、カルケドン公会議
場所
詳細
教義
キリストと神は同質であり全く等しいとするという教義を持ちます。
この説はのちに父なる神、子なるキリスト、精霊は三つでありながら同一であるという三位一体説として確立され、現在でも主流の教義となっています。
歴史
キリスト教自体がコンスタンティヌス帝により313年のミラノ勅令で認められると、同帝の開催したニケーア公会議でこれを正統、アリウス派を異端とすることが定められます。
テオドシウス帝により392年に国教とされると、アタナシウス派以外のキリスト教を含む他の宗教を禁じます。
その後も、ネストリウス派が異端と認められた431年のエフェソス公会議、単性論が異端とされた451年のカルケドン公会議の両会議で正統と認められ、以後長い間、主流となっていきます。
5世紀末、フランク王の クローヴィス がゲルマン固有の宗教からアタナシウス派に改宗したことでうまく治めたこともよく知られています。
補足
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