世界地図の歴史
世界地図の作成
古来より人類は自らが住む世界に関心を持ち、世界地図の作成を試みてきた。
そのなかでも、経度を正確に測ることは、近代に至るまで困難だった。
これは、緯度の測定は太陽の南中高度などを利用して比較的容易かつ正確に計測できるのに対し、経度の測定には南中時刻を正確に測定する必要があり、近代まで正確な時計が存在しなかったからである。
すこし発展的だが、この話は過去に東大入試で問われたことがある。しっかり押さえておこう。
日本地図の歴史はこちらを参照。
世界地図の歴史
古代
バビロニアの地図
現存最古の地図は、紀元前7世紀の古代バビロニアで作られた。
世界地図ではあるが、バビロニア周辺しか描かれておらず、外の世界をあまり知らなかったことがわかる。
プトレマイオスの地図
古代ローマ時代に作られた世界地図。
古代ギリシア・ローマ時代には自然科学が発展し、地球が球体であることも知られていたほどだった。
2世紀にはプトレマイオスが世界地図を作成し、正確性が大きく向上したが、範囲は地中海~インド洋に留まる。
中世
TOマップ
ヨーロッパで作られた世界地図。
中世ヨーロッパでは、古代ギリシア・ローマ時代の知識が失われ、科学は大きく後退した。
キリスト教の教えに基づく空想的地図が描かれるようになり、その形からTOマップ(TO図)と呼ばれた。
世界は平面で、ヨーロッパとアフリカ、アジアの三大陸に分かれ、その周りは海で囲まれていると考えられていた。
イドリーシーの世界地図
イスラム世界で作られた世界地図。
イスラム世界では古代ギリシア・ローマの知識が受け継がれ、発展した。この地図も、プトレマイオスの地図をもとに、アラブ人の知見を加えて作られている。
近世
ルネサンス以降、キリスト教的価値観に基づくTOマップに疑問が持たれるようになった。
トスカネリは当時の常識に反して地球球体説をとなえ、コロンブスによる西回り航路発見の理論的支柱となった。
マルティン・べハイムは地球が球体であると考え、現存最古の地球儀を作成した。
新大陸発見後
16世紀には新大陸が発見され、世界地図にも新大陸が登場するようになった。
メルカトルは、正角図法を用いたメルカトル図法を発明した。
宣教師マテオ=リッチは、坤輿万国全図を制作して西洋の知識を東アジア世界に伝えた。