明(14世紀〜17世紀)

元々長江下流域が穀倉地域でしたが、交易が発達したことで輸出製品の生産用地に圧迫され、湖広(長江中流域)へと移ります。
生産量が十分だったことから、「湖広熟すれば天下たる」(湖広で豊作であれば全域をまかなえる)と称されます。
生糸や景徳鎮などで作られる陶磁器も代表的な輸出品でした。
商業の発達に伴い、山西商人や新安(徽州)商人などの特権商人が活躍します。
商人の互助などのために会館や公所などが設けられました。
宋代に発展した朱子学を批判した王陽明は本来の道徳心を発揮し実践することを説く陽明学をとなえ、広い支持を得ます。
また、16世紀末にマテオ=リッチによって伝えられたキリスト教も、ヨーロッパに関心を持つ士大夫層を中心に受け入れられます。
彼は科学にも通じており、世界地図、坤輿万国全図の作成にも携わります。
国内でも科学分野は大いに発展し、徐光啓などが活躍します。

『三国志演義』などの小説が盛んに読まれます。
また、地方高級官僚の郷紳には芸術を嗜む人も多く、董其昌はその代表として知られています。
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