エジプト独立
概要
エジプトがイギリスの支配をうけ、そこから独立しようとするお話です。
時代
18世紀末〜19世紀後半
詳細
イスラム王朝のマムルーク朝であったエジプトは、16世紀初めにオスマン帝国により倒されると300年ほどオスマン帝国の領地となります。
18世紀末、ナポレオンにより占領されますが、オスマン帝国がとりもどします。ムハンマド=アリーがオスマン帝国によりエジプト総督と認められると、次々と勢力を広げていきます。
旧勢力のマムルークを一掃し、エジプトの富国強兵を推し進めました。
エジプト=トルコ戦争を始め勝利しましたが、1840年のロンドン会議によりエジプト・スーダンの総督の地位を世襲することを認められるに留まりました。
そして戦争によって債務を抱えたエジプトはイギリス・フランスの管理下に置かれ、内政干渉を受けました。
特にイギリスはエジプトからスエズ運河株を買収し、エジプトへの介入を強めました。
このような外国支配に対して、エジプトでウラービーが立ち上がると、イギリスはエジプトを軍事占領し、事実上の保護下に置きました。
このウラービーの運動は 「エジプト人のためのエジプト」 をスローガンに掲げるなど、立憲制の確立を求めるエジプト民族運動の原点となりました。
しかしこれらの独立運動にもかかわらず、独立は大戦後、他のアフリカ諸国よりはすこし早い1953年となりました。
スエズ運河をめぐっては中東戦争が起こりますが、勝利すると第三世界の牽引車となります。
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