ムハンマド=アリー
概要
19世紀前半のエジプト総督。
オスマン帝国の支配下のエジプトで近代化に努め、シリア領有などの権限拡大のため2度のエジプト=トルコ戦争を戦ったが、列強の介入を受けた。
流れ→エジプト独立
時代
位 1805年〜1848年
場所
詳細
エジプト総督ムハンマド=アリーは民衆の支持を得て、オスマン帝国の属州であったエジプトで一定の自治を任されていました。
近代的軍隊や官僚制、教育の整備、工場の建設などを実現しようとする近代化改革を進めました。
ギリシア独立戦争を支援した見返りとして、オスマン帝国にシリアの領有を求めますが、これを拒否されたため開戦します(第一次エジプト=トルコ戦争)。
南下政策を進めるためロシアはオスマン帝国を支持、対抗してイギリス、フランスは和解を勧めて、シリアの領有に成功します。
不満を抱いたロシアとオスマン帝国は相互援助条約であるウンキャル=スケレッシ条約を結び、ダーダネルス・ボスフォラス海峡のロシアの独占通行権が定められました。
フランスとイギリスが対立するようになると、フランスがエジプトに、イギリスがオスマン帝国の支持にロシア、オーストリア、プロイセンとともにつく第二次エジプト=トルコ戦争が戦われました。
ロンドン会議により総督位の世襲を認められ(=ムハンマド=アリー朝)、ダーダネルス・ボスフォラス両海峡の全軍艦通行禁止(ウンキャル=スケレッシ条約の放棄)が定められた一方、シリアの放棄が定められるロンドン条約が結ばれて終結しました。
エジプトはその後も貿易などで権利の制限を受け、さらなる近代化を求めて スエズ運河 建設に巨額を投じるようになります。
しかし、それによりイギリス、フランスの財務管理下に置かれ、内政支配も受けるようになっていきました。
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