石油危機
石油危機
石油危機とは、1973年、1979年に二度発生した、原油価格の急騰による混乱を指す。
第一次石油危機
第一次石油危機は、第四次中東戦争によって引き起こされた。
第四次中東戦争はざっくり言うとアラブとイスラエルの戦いで、欧米の先進国がイスラエルを支援していた。
アラブ諸国は、イスラエルを支援する欧米先進国に打撃を与えるため、イスラエル支援国に対し
を行った。
このうち、OAPECが行った石油禁輸は石油戦略とも呼ばれる。
この第一次石油危機によって世界経済は深刻な打撃を受け、日本でも高度経済成長が終焉を迎えるなど、さまざまな影響をもたらしている。
第二次石油危機
こちらはイラン革命が原因。
当時から石油の輸出大国であったイランで革命が発生、石油の輸出が停止した。
OPECが混乱に乗じて原油価格の値上げを実施、第二次石油危機が発生した。
第一次石油危機を経験した世界はこれにうまく対処することができ、混乱は第一次に比べると比較的軽微で済んだ。
石油危機の影響
石油危機以前、石油は二束三文で売買されていたため、日米欧の先進国は石油を湯水のように使い大量生産・大量消費モデルの経済成長を実現した。
ところが、石油危機以降のエネルギー価格の高騰に伴い、世界経済は見直しを迫られ、
- 石油の備蓄
- 輸入先の分散
- 省エネルギー化
- 代替エネルギーの開発
- 油田の新規開発
に力を入れるようになった。
石油の備蓄
これは急な原油の供給停止に備えるために行われるようになり、世界各所に石油備蓄基地が建設された。
2021年9月時点では、日本は約240日分の石油を備蓄している。
輸入先の分散
石油危機はどちらも中東で発生し、その後も中東は政情不安が続いたことから原油の中東依存脱却が目指された。
日本はこれを機に、インドネシアや中国など近隣の産油国からの輸入を拡大し、一時的に中東依存度は低下した。
しかし、近年のアジア諸国の経済成長に伴い、アジア諸国のほとんどが原油輸入国に転じ、日本は周辺諸国からの原油調達が不可能になってしまった。
日本の中東依存度は再び上昇し、現在では 92% にのぼっている。
省エネルギー化
原油価格の高騰を機に、世界では省エネルギー化が進んだ。
また、日本では資源を大量に消費する素材型の重工業が衰退し、代わって加工・組み立てを主とする機械工業が発達した。
重厚長大型産業から軽薄短小型産業への転換が起こったといえる。
代替エネルギーの開発
が、代替エネルギーとして注目されたほか、
も安価なエネルギーとして再注目された。
油田の新規開発
原油価格が上昇したことにより、これまでより採掘条件の悪い(=コストの高い)油田を新たに開発しても採算がとれるようになった。
さらに、石油危機を通じ、OPEC依存の危険性を理解した石油会社は非OPEC諸国からの買い付けを強化した。
これらの理由から、世界各地で新規の油田開発が一気に進んだ。ヨーロッパでは北海油田開発が本格化したほか、メキシコ湾の海底油田の開発が行われた。