鮮卑
概要
五胡の一つで、南北朝時代の北魏を立てた民族。
北魏は孝文帝の均田制や漢化政策で知られる。
まとめ→中国王朝
時代
前1世紀〜534年
場所
詳細
匈奴の支配から離脱した、拓跋氏によって立てられた鮮卑は、五胡の一つとして華北で力を伸ばします。
五胡十六国と呼ばれた華北の国々の中で力を伸ばし平城を都とする 北魏 をたてると、太武帝の時代に華北の勢力を一掃します。
孝文帝の時代に三長制と均田制が整備され、積極的に中国風に改める漢化政策、洛陽への遷都も行われます。
6世紀前半に東魏と西魏に分裂し、それらはすぐに北斉・北周に取って代わられました。
北魏とその後の4国を合わせて北朝とよび、その間華南で興亡していた宋・斉・梁・陳の4国を南朝、この時代を南北朝時代と呼びます。
文化
太武帝は仏教を激しく弾圧しますが、彼の死後には信仰が復活し、平城の近くに雲崗石窟が作られ、孝文帝の遷都後には新都洛陽に竜門石窟が作られるなどします。
漢風の袈裟や面長・なで肩の体型など、漢化政策の影響が見られる
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