1648年に結ばれた、三十年戦争の講和条約。
宗教戦争の終結と、神聖ローマ帝国の実質的解体という意味合いが大きい。
流れ→三十年戦争
1648年

ウェストファリア条約では、アウクスブルクの和議の再確認がなされ、新教の信仰の自由が改めて認められます。
またルター派のみが対象であったアウクスブルクの和議に対して、カルヴァン派にも適用されることとなります。
これにより100年ほどにわたって続けられた新教の信仰の自由を求めた宗教戦争は終結することとなりました。
この条約では、ドイツの各諸侯に主権が認められ、神聖ローマ帝国は実質的に解体したことから「死亡証明書」とも呼ばれます。
ハプスブルク家はオーストリアの王として存続しましたが、皇帝の権威は低下し、プロイセンなどの新興国が勢力を拡大します。
実際に消滅するのは、ライン同盟が結成された1806年のことでした。
フランスがアルザスを獲得、スウェーデンは西ポンメルンを獲得します。
また、オランダ・スイスの独立が承認され、オランダに関してはスペインからの独立を目指す 「八十年戦争」の終結となりました。
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