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冷戦


概要

民主主義と社会主義の実践を伴わない戦争、冷戦についてのお話です。

戦局は緊張、雪解け、キューバ危機による緊張、緩和と変動していきます。

まとめ→大戦後

時代

1956年 スターリン批判

1962年 キューバ危機

場所

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詳細

冷戦の始まり

戦争中ファシズムへの反感から、共和勢力が活躍するようになります。 イギリスでは労働党のアトリーが、フランスでは壊された第三共和制に代わる第4共和制が発足、イタリアでも王政が廃止され、共和制へと移行します。

東欧諸国には親ソ政権が成立したことなどから、アメリカはソ連、及び共和勢力への危機感を強めます。

そんなアメリカは、1947年、政権が定まっておらず重要な地域と見ていたトルコギリシャに軍事支援を与えることで、ソ連を封じ込めようとします。(トルーマン=ドクトリン)

また、経済的には反共和勢力にのみ支援を与えるマーシャル=プランを発表し、東欧諸国、及びソ連はこれを拒否します。

そしてそれらの国は共和情報局(コミンフォルム)を結成し、対抗します。

これにより東側の共和・社会主義勢力と西側の反共和勢力の、「冷戦」と呼ばれる緊張状態が続きます。

展開

ソ連の支援を受け独立した東欧のハンガリールーマニアブルガリアアルバニアは、人民民主主義に基づく社会主義を採用します。

またチェコスロバキアでは独自路線を歩もうとしますがクーデターが起き、共産党が実権を握ります。

一方、自力独立を果たしたユーゴスラビアは自主的な姿勢をみせ、コミンフォルムから除名されます。

1948年、ソ連の影響に対応して西ヨーロッパ連合条約を結び、翌年には軍事組織、北太平洋条約機構(NATO)が成立します。

東側では、経済組織コメコン(COMECON)が創設され、軍事組織ワルシャワ条約機構も発足しました。

また、西側では50年代に地域統合も進められ、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)、ヨーロッパ経済共同体(EEC)、ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)の3団体が発足、67年にヨーロッパ共同体(EC)に統合されます。

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雪解け

53年にソ連のスターリンが死去すると、外交政策の見直しにより一時緊張が緩みます。

スターリンの後に第一書記となったフルシチョフは56年、スターリン批判を行い、平和共存を打ち出しコミンフォルムも解散します。

この緊張緩和状態を「雪解け」と呼びます。

これに伴い、共産国であったポーランドやハンガリーでは民主化を求める大衆運動が起こりますが、これらは鎮圧されました。

キューバ危機

1962年、キューバにソ連がミサイル基地を作っていることが発覚します。(キューバ危機)

一気に緊張が高まりますが、アメリカのキューバ内政への不干渉と、ソ連のミサイル撤去で合意し、緊張緩和の方向に進んでいきます。

しかし、ソ連自由化の動きは阻害され、ルーマニアの独自化運動やチェコスロバキアの「プラハの春」と呼ばれる民主化運動などは抑止されます。

キューバ危機により、非核の動きも進みました。

63年に部分的核実験禁止条約、68年に核拡散防止条約が結ばれ、、69年に第1次戦略兵器制限交渉(第1次SALT)が始まります。

緊張緩和

キューバ危機後の米ソの緊張緩和に伴い、ヨーロッパでもその流れが見られます。

73年に東西ドイツは互いに承認します。

ポルトガル、スペイン、ギリシャでも民主制に移行しました。

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関連単語

NATO / アトリー / キューバ危機 / スターリン / トルーマン=ドクトリン

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