テトラルキアが敷かれてから分裂するまでのお話です。
この後、東西ローマは互いに異なった歴史を刻むこととなります。
まとめ→ローマ
284年〜395年

ディオクレティアヌス帝の政策を引き継いだコンスタンティヌス帝は帝国安定のためさまざまな改革を行いました。
また、ビザンティウムに新たな首都を建設、コンスタンティノープルと名づけました。

しかし、重税による反乱やゲルマン人の侵入で混乱した帝国はもはや統一を保つことはできず、395年、テオドシウス帝が東西に分割して2子に分け与えたことで前6世紀から続くローマは消滅することとなります。
ローマを首都とする西ローマ帝国とコンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国に分けられますが、西ローマ帝国はすぐにゲルマン人のオドアケルにより476年に滅ぼされ、東ローマ帝国は長命でオスマン帝国のメフメト2世により1453年に滅ぼされます。
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